個人的なことから始めるが、5月は仕事が忙しく、体調も悪いという月だった。さらに運気も悪いといった案配で、五月病というのはこういうものなのかと思いつつも、5月期のニュースを振り返ってみても、いいものはないような印象が残ってしまった。
先月から続くTOKIOに所属していた山口達也の脱退のニュースが流れた。
非常に逆説的な言い方にはなるが、久しく行為に伴う責任を何らかの形で果たす、という姿を見ていなかったので、本人はともかくとして残されたメンバーの対応も含めて、妙に好感が持ててしまった。とはいえ、被害者の心の傷のことを考えると、そして元々の発端を考えると、このように考えるのはおかしいとは思うわけなのだが。
この責任の関係については、日本大学アメリカンフットボール部の関西学院大学との試合における故意のタックル問題に繋がっていく。目下、マスコミ各社はこの対応についての報道をもっぱらとしている印象があるのだが、当事者である選手本人が会見を開いた。
内容としてはこのような若者が、「責任」の名の下に、おそらく本人が持つ以上のものを担わされている、というところが気になりつつも、やはり本人がタックル自体は行ってしまった以上、その行為に伴う責任自体は果たそうと心がけた――ようにも思われる。読む限りでは、ほとんど洗脳状態にあったとしか思えず、この内容が真実だとした場合、上記に記載した責任の重さというものは変わってくるだろうとは思う。
この「責任」というものは、別の形でも求められるようになる。弁護士への懲戒請求をネット上のブログに煽られて、不当な形で行われた。内容は懲戒という名の下に通常考える範囲を下回るレベルの低さであるらしく、業務妨害などの方面で弁護士たちが動いている。
外交方面では目下、アメリカと北朝鮮の間で調整が続けられ、政治では働き方改革関連法案のうちの高度プロフェッショナル制について問題があるものの採決が見込まれる。沈んでいく国に住む者としては、沈む幅がどんどん大きくなっているような気がしてならず、それに伴って心身ともに体調が落ちていくので、どうしようもない月となった。
その中で唯一光明とも言えるものが、ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大の『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(亜紀書房、2018年)を読んだことであった。
内容は下記の記事にて一部転載されているようだが、その力強さについてはいつも勇気づけられる。勇気づけられる、という言葉だけで終わらせるわけにはいかないのだが、その真っ当な鋭さが、この沈んでいく状況下においてどれだけ光明となるのか。
個人的に読んでいて印象に残ったのは安倍政権下における経済(金融)政策は、その効果を最大化するためではなく、最終的な目標である憲法改正のための支持率向上のためのものでしかない二次的な目標で、金融緩和の効果はあったものの、その効果を最大化させなかった、というものだった。
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