Outside

Something is better than nothing.

身体のメンテナンス

Maintenance

 先月は延々と対象不良に悩まされた挙げ句に仕事上のトラブルが相次ぎ、業務運行について現行スキームを見直す必要が生じたところで、しかし体調が悪い、何もしたくない、誰とも飲みに行きたくないという状態に陥った。その陥穽はあるいはバイオリズムとでも言うべき唾棄すべきものなのかもしれないのだが、それでも体はだるく、梅雨の季節の訪れとともに高まっていく部屋の湿度のような、そんな湿ったというよりもべっとりした不快感を思わせた。

 私はとにかく砂のようにさらさらと、ぱらぱらと散っていきたかった。以前に尊敬する上司に今後の仕事についての展望を伺ったときに、その方は「砂になりたい」と言っていたのを思い出す。その上司は砂のようになって、最終的によく分からないところに行ってしまい、そこで骨を埋める覚悟をしたと言っていたような気もするのだが、幸せとは砂の形をしているのかもしれない――しかし、砂の形とは一体。

 かくして私は先月、猛烈な首の痛さに2週間あまり襲われ、首の痛みを解消するために書店で見つけた枕を購入したのだが(しかし、書店とは一体……)、そのお陰なのか単にバイオリズムという唾棄すべき事実のためなのか、とにかく首の痛みはややマシになり、人間の身体のメンテナンスのことを思うのだった。 

天使の深睡眠マクラBOOK (バラエティ)

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 私は以前より持病があり、毎月のように病院に通っているのだが、それ以外にもアトピー性皮膚炎であるために定期的に皮膚科に通う必要がある。皮膚科に通わなければ次第に全身が痒くなり、やがては傷だらけの状態に陥ってしまう。ステロイドとはかくも偉大な薬なのだという思いを強くする昨今ではあるが、以前まで私は皮膚科だろうが腎臓内科だろうが、とにかく病院というものへ行くのが面倒で仕方なく、それは病を治すという場所だと病院を認識していたからなのだった。

 今のところ私の腎炎もアトピーも治らないようだから、どうして行く必要があるのだろうと思っていて、前者の治療を精神の調子が悪くなったときを境にして一年近くほっぽり出したこともあった。医者に怒られていろいろと説明を受け、また自分でも考えを改める中で、病院という場所は、身体を治すところではない、ということに気づいた。メンテナンスをするところなんだ、と。

 若い頃はとにかく寝れば治る的な具合の、RPGで言えば宿屋最強みたいな認識でいたのが間違いで、歳を取れば取るほど少しずつ回復力は落ち、状況の放置による自然治癒の機会はますます失われていくばかりである。

 機械もまた同様だ。多くの機械は定期的に何らかのメンテナンスを施さないことにはそのパフォーマンスを発揮できず、動いたとしても役に立たない、ベスト・エフォート値から著しい落差があるなど、落胆することこの上なしである。

 つまるところ人間の身体など機械と手入れの面では大差なく、男女問わず肌爪髪の手入れは日常的に行っている。病院も、電源のオンオフがないために24時間何らかの部分で働き続けている身体に対して、数十年も生きていれば故障の一つや二つ生じないはずがないのだという運命を前にしたメンテナンスに他ならない――と気づいたときに、病院に対する面倒臭さが多少は緩和された。

 医は仁術などではなかったのだ――ある意味において。この医療というメンテナンスを抜きにして人間は数十年も生きることができない以上、病院に通わないという選択肢はないのだ、ということに私はようやく気づいたのだった。