Outside

Something is better than nothing.

一合炊きの感覚

Rice Cooker

 一人暮らしを始めたときに、当然というような必要に駆られて私は炊飯器を買ったのだけれども、それは最大で三合程度まで炊くことができる代物で、その最大量は「も」がつくべきなのか、「しか」がつくべきなのか、私には判断がつかないのだけれども、初めての一人暮らし、一人でご飯を炊き、一人でそれを食べるということについて、私はそれなりの愉悦に浸っていた。

 愛用している、といっても、次第に不精者ゆえにご飯を炊く頻度は減っていき、例えば松屋などのファーストフード店に米を食べる機会は譲っていくことになったのだったが、それでも時折、気が向いたときには米を炊いた。

 大抵は二合炊いて、心ゆくまで米を食しては、残りを冷凍庫にしまっていたことになる。凍った米をレンジで温め直すと、妙にぱさぱさすることが多かったので、あまり好きではなかったのだけれども――それは私の米を炊くときの水加減の問題が多分に関連していることは承知している。

 備蓄が底をついたとき、私は米を一合で炊いた。あるいは、どうしても二合以上の米を炊きたくないとき、私は一合だけ米を炊いた。一人暮らしの最初期こそ、炊飯器は適切な炊飯を行ってくれていたが、安物の機械だったがゆえ、だんだんと米が適切に炊けなくなってきて、一度などほとんどおかゆとしか思えない状態の代物ができあがってしまった――水加減は適切だったにもかかわらず!

 それは決まって一合炊きのときに起こるのだった。二合か三合のときは、その不適切な炊飯は引き越されず、どうしてたか一合のときだけ引き起こされる。感覚的に二合以上でご飯を炊いたときの方が美味しいようだったから、炊飯器というものはそういう機械なのだと納得しようとしても、どうしても一合だけご飯を炊きたい瞬間というものはあるのだった(鍋で米を炊いたこともあったけれども、洗うのが面倒で止めてしまった)。

 先日、備蓄米が底をついたことをきっかけに、かなり久しぶりに一合だけ米を炊いた。今では家族がいるのだから、一合だけお米を炊くということはあまりないと思いつつ、私は米をとぎ、炊飯器にセットした。つい先日、糸こんにゃくご飯を作ろうとして失敗したことを、スイッチを押す瞬間に思い出しながら。

 今使っている炊飯器は結婚したときに母からプレゼントされたもので、携帯電話会社の貯まりに貯まったポイントをすべて使って、それなりに高級なものを贈ってくれた。

 果たして、その炊飯器で炊いた一合の米は――やはり、あまり美味しくはないようだった。

10月の振り返り(Stairway 10)

Guns

 早いものでもう11月になろうとしている――と書こうとして、これはあくまで定型文なので、ほとんど何も考えずに打ち込んでいこうとしたのだが、しかし季節の巡りというものは常に早いものであるような気がしていて、それは単に時間の流れがそういうものなのか、あるいは我々の時間認識や記憶が過ぎ去った時間について、今現に感じている時間に比して、一瞬のものであるように錯覚させるのか、いったいどういうことなのだろうと考えつつ、10月という月日も過ぎてしまい、今に至っている。

 例によって資金決済の関係と、スルガ銀行の処分、そして金融庁主導で始めた金融機関の共通KPIが私の中ではまず気になったのだが、まあ、ちょっとはそれは職業に基づく関心になりすぎるのかもしれない。

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 個人的にはこの共通KPIをどう利用者の資するように取り組んでいくのかが問題かと思われ、昨今のFDの観点からこういう発想になったのだろうが、システム的にどこまでの対応が可能なのかどうか――というやや抽象的に書く。

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 この6ヶ月という期間が長いのか短いのか分からないのだが、同時にスルガ銀行の株安を受けて個人投資家スルガ銀行の株を購入しているという動きも、高リスクということで危険視されていた。

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 これについては利用者目線で言えば、今までなぜというところだっただろう。24時間の即時振込ということは、同一の銀行口座間であればおおむね対応できていたのではないかと思うのだが、全銀システムって何、という気もする。SWIFTももう少しマシになるみたいなので、銀行の決済サービスは多少は改善される傾向にあるのかもしれない。

 また、米国の株安についても気になった。個人的にはあまりマーケットの動きについては専門性が高くないので、通り一遍の認識(しかも事後的なもの)しか持てないのだが、10月後半は市況が荒れていた。儲けた人は儲けただろう。

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 繰り返しとなってしまうそのものに深い憂慮を覚えつつも、アメリカでまたしても銃乱射が起こった。

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 私はかつて「信じがたい憎悪」というエッセイを書いたことがある。これは大統領戦の演説中に、シリアからの難民はすべて「イスラム国」のテロリストだとトランプが述べたことに、「イスラム教の女性」がただ無言で立ち上がることで抗議したとき、トランプが「信じがたい憎悪を向けられた」と述べたことに起因した記事である。

 今回の銃乱射事件を受けてトランプが述べたことはこの「信じがたい憎悪」のトランプの態度にかなり近いものがあろうかと思われる。

 トランプ大統領は28日、インディアナイリノイ両州での複数の選挙イベントに向かう前に事件を激しく非難、記者団に対し、「率直に言って私たちの国で、そして世界各地で憎悪によるとてもひどいことが起きている」とし、「何かがなされなければならない、人々がこうしたことをすれば死刑を受けるべきだ」と話した。

 トランプ大統領は銃所持の権利を認める法律を見直す時かと問われると、武装した警備員がこのシナゴーグに配置されていれば犠牲者の数がはるかに少なかったかもしれないと示唆した。報道によるとこのシナゴーグではユダヤ教の大祭日の際のみ武装警備員が配置されているという。(上記記事より引用――太字・下線は筆者)

  これについて細かく述べたい思いもあるのだが、取り急ぎ引用に留めておこう。出生地主義の廃止検討やトランスジェンダー排除、また万国郵便条約からの離脱、中距離核戦力(INF)廃棄条約の破棄等、いろいろとあるのだが、さすがに書き切れなかった。

 

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joek.hateblo.jp 

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重なりあって、続いていく

How do I grasp reality when I don't have an identity?

 いつの間にか生まれてから三十年もの時間が経ってしまい、その三十年の半分は、つまり高校生とかそのくらいの年齢になるわけで、そういう時代の自分の存在について、つらつらとよしなしごとを考えていると、時間のあまりの茫漠さについて、途方もない感じを受けてしまう、というのが人情というものなのかもしれない。

 ある地点から別の地点へ移ったとき、そこに同一性のようなものを担保し続けていると思っているわけで、それが自己同一性というものなのかもしれないし、これを書きながらふと思ったのは「自己同一性」なんて言葉を書き連ねたのはずいぶん久しぶりのことだった、ということである。

 もちろん時間を多く過ごせば過ごすほど、この自己同一性なる単語の怪しさについては考えざるを得ないわけであるし、私というものは身体を通じて皆通り過ぎていき、踏みしだかれた結果なのだと断言されれば、ああ、そういうものか、と考えなくはない。

 いつの間にか――という単語が頻出するくらいに、時間に対する認知の頻度はうっかりしていて、とにかくいつの間にか私は結婚していて、貴重な時間を惰眠で潰したり、どうでもいいことに注力した挙げ句に何ら保存することなく壊したりしている。

 よしなしごと、について考えていたのは、小説を書くためで、私がどうして小説を書いているかと言えば、私は小説を書くことが好きだと私自身が思っているからであり、今現に書きつつある小説の中に、自分の幼い頃の体験をできるだけ装飾をなくしていって書こうかと思っているし、ということで、私は現に小説を書こうとしている。

 私のある地点は高校生とか中学生の頃のことではあるのだが、別の地点であるところの今に至ってもなお、行為としては同一のことをしておりながら、同一性は担保しきれていないのかもしれない。

 私というものは、ある私と異なる私とで重なる範囲が日々、刻一刻と変わっていき、まったく別の何者かになろうかと思いきや、ある程度の続きというものは担われている、と思う。