Outside

Something is better than nothing.

『惑星ソラリス』(1972年)

惑星ソラリス Blu-ray 新装版

惑星ソラリス Blu-ray 新装版

  • 発売日: 2016/06/24
  • メディア: Blu-ray

 タルコフスキーの『惑星ソラリス』を観る。
 心理学者のクリスは地球上で惑星ソラリスの探査計画が謎めいた原因で失敗しかかっていることを受け、観測ステーションに派遣されることになるのだが、知性を持っているという海のためなのか、施設内は荒廃し、研究所内の連携はまったく上手くいっておらず、各々勝手に行動している中に、ソラリスの海によって作り出された存在しないはずの人影がやってくることに気づいたクリスは、かつて十年前に失くした妻ハリーが現れたことで激しく動揺し、以後はそのソラリスの海による現象を受け入れることになる。知性を備えたハリーはやがて自らの過去を知るようになり、さらには存在の根底の不確かさから七日自殺を試みるようにもなる。海の所為なのかは分からないが、クリスが高熱にうなされている間に、海に向かってクリスの脳波を使った処置を施され、研究員たちが「客」と呼んでいる存在の襲来はなくなるのだが、海に変化が訪れ島ができ始める。  無用に長いシーンが多いような気がするのだが、噂に聞いていたタルコフスキーの水の描写はそれなりに面白い印象があるのと、ソダーバーグの『ソラリス』よりかは印象に残るのではあるまいか、という気もした。素材自体もアメリカ人には向いていないのではないか、というのは少し穿ちすぎだろうか。
 美術は好ましく、途中でなぜか首都高が出てきたときは首を傾げもしたのだが、しかし退屈であるのだがどことなく印象に残る作品となっている。

ジョージ・フロイド事件と音楽

Riot

 新型コロナウイルスに関連し、アフター・コロナだとかウィズ・コロナだとかいったお題目(ここに「新しい生活様式」が絡んでくると、それはそれで七面倒臭いのは事実であるのだが)に対して、あくまで仕事の上で対応を進めていっているのだが、それがもうとんでもない仕事量になっており、その上、規制は多いわ、仕事上の裁量は少ないわで毎日仕事に追われている中、ふとSpotifyのプレイリストの中に「Black Lives Matter」があることに気づいて、たしかにジョージ・フロイド事件を発端にアメリカで抗議デモが繰り広げられている、ということに思いを馳せ、しかしながら前述のコロナ禍によって国内情勢ですらよく分からないことになっているため、まったくキャッチアップできていなかったのだが、そのプレイリストを聴きながら、いつの間にかチャイルディッシュ・ガンビーノの「This Is America」が当然のようにそこに含まれていることに気づいた。この曲が出た当時PV(ヒロ・ムライ監督)がかなり話題になっていたはずで、実際の曲とPVでは銃撃の有無によって印象がかなり異なるのだが、とにかく私はこれを見聞きしたときに大層な衝撃を受けたのを覚えている(ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤もまた驚いていたように記憶している)。


Childish Gambino - This Is America (Lyrics)

 ジョージ・フロイド事件そのものについては、警察による不当な暴力に対する彼のささやかな抗議*1「I can't breathe.」がどうしようもないほどにまさに「ささやかな抗議」として耳に残るようなのだが、アフリカ系アメリカ人の暮らすリアルな日常というものについて、あくまで想像上でしか関わりを持たない者としては、この「ささやかな抗議」の裏腹に持つ、白人社会の重量(これは彼を「膝」でもって窒息させうるものなのだ)を感じる次第であった。

 実際のところワシントンで現在起きているような暴動がどういうものなのか、アウトサイドにいる人間としては論評する言葉を持たないのだが、例えば本邦においては朝鮮人差別というものが日常的に存在しており、これを敷衍するような形で連想することはできる。

 ただし、宇多田ヒカルが述べたように、「日本で生まれ育った日本人からすると」いまいちピンとこないものなのかもしれないのだが、梶山季之の「族譜」(コレクション 戦争×文学 17 帝国日本と朝鮮・樺太に収録)という中編小説では、献身的に帝国日本に拠出を行っている朝鮮人であるにもかかわらず、創氏改名によって一族の系譜(族譜)を失うことになった姿が「日本語」で描かれており、この繊細で微妙な感情は地政学と官僚機構によっていとも簡単に踏みしだかれてしまうものなのだ、ということを感じさせるものなのとなっているのだが、この歴史的局面はもはや私たちの想像できるところにはないのかもしれない(何せジョージ・フロイドの末期の息のように、この族譜はささやかな抗議であろう)。

 何にせよ前述のチャイルディッシュ・ガンビーノを初めとする「当事者」たちが決して忘れさせないために、こういった楽曲を作成し、そして一部はアメリカ政府すら保存すべきものとして認識している。

hiphopdna.jp

 寡聞にして私は知らなかったのだが、ドクター・ドレーがかつて所属していたヒップホップグループのN.W.Aには「Fuck tha police」という楽曲があるらしい。以下は記事からの引用。

伝説のヒップホップグループ「N.W.A.」のメンバーとして活動していた当時も、ドレーは警察による不当な暴力に対して抗議した「Fuck The[ママ] Police」をリリースしており、こちらの楽曲が収録されているアルバム「Straight Outta Compton」は国家保存重要録音物登録簿にも登録されている。

 楽曲を聴くと分かりやすいのだが、この曲は非常に構成的になっており、ただ単に反発を示すようなものではないように感じられる。そしてこの曲自体のクオリティも高いため、人口に膾炙しやすい。

 また、この記事の中でキラー・マイクのコメントが紹介されており、これに感銘を受けたので引用したい。

俺は今日、「敵のために自らの家を燃やすのは、あなたのするべきことではない」と単刀直入に言うために来た。あなたがすべきなのは、来るべき団結の時のために、自分の家を避難所として公開できるように防備することだ。俺は耐えられないほどの怒りを感じている。昨晩、世の中が燃えて無くなってしまえばいいと思ったよ。黒人が死ぬのを見るのに、もう疲れたんだ。彼はそれとない態度で、自分の膝を人間の首に押さえつけたんだ。亡くなるまで、9分間もだ。そして我々はその動画を殺人ポルノのように何度も観ている。若者たちがすべてを破壊しているのは、その怒りが原因だろう。他に何をしたらいいのかわからないのだ。この状況をどうにかすることが我々の責任だ。今すぐにだよ。一人の警官が逮捕されればいいのではない、4人の警官全員が起訴されて、判決を下される必要がある。スーパーマーケットを燃やしたいわけではない。我々が必要としているのは、システムが体系化した差別を燃やし尽くすことだ。
[太字下線は引用者]

 ドナルド・トランプは例によって分断を煽ることにしか興味を抱いていないようだし、カナダのトルドー首相は記者の質問に沈黙し、結果的にはデモ側を擁護していたのだが、ワシントンのバウザー市長はホワイトハウスへ続く通りに「Black Lives Matter」と目立つ黄色で道路にペイントをした。未来はどうなるのか誰にも分からないのだが、少なくとも改善が、今より少しでもより良き未来が訪れんことを。

*1:2020年6月10日修正。当初「警察による彼の不当な暴力によるささやかななる抗議」と記載していたが、意味が通らない文になっていたので微修正。

碑銘の言葉

Cerberus

 横光利一の小説に「夜の靴」というものがあって、たしか私の記憶が間違いでなければ『旅愁』後、つまり戦後の作品であったような気がするのだが、もうすでに筋書きはほとんど覚えていないのだが、その中に「篆刻の美は死の海に泛[うか]んだ生の美の象徴ではなかったか。」(夜の靴 微笑 (講談社文芸文庫)、P.159-160)という一文があり、その「篆刻の美」と「死の海」がどうして結びつくのか、読んだときには気がつかなかったのだが、もちろんこの篆刻というのは印章を思い浮かべもすると思いつつ、最近、堀口大學の『月下の一群』を読んでシヤルル・アドルフ・カンタキユゼエンの「碑銘」に差しかかって内容に面白がっているときに、ああ、横光のあの一文はここに行き着くのかしら、と思ったのだった。

 詩文に曰く、

 来た時よりはよくなつて私は帰る、
 裸で生れて来たのだがいま着物きて死んで行く。

 (訳詩集 月下の一群 (岩波文庫)、P.553)

  というもので、私はこれを読んだときに直截に横光を想起することは決してなかったが、とちらかと言うとギリシャやローマの戯れ言の一つである、

余は汝がいずれなるであろうところのものにして,かつては,汝が今かくあるところのものなりき.

ギリシア・ローマ名言集 (岩波文庫)、P.167)

 を思い出したくらいで、その後にもちろんモンティ・パイソンの傑作映画であるというか、そのテーマソングが好きな(ブレイディみかこの紹介もあって)『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン 完全版 (字幕版)』の中の「Always Look on the Bright Side of Life」と結びつけて頭の中でひとしきり楽しんだ後に、傍にいた妻に「俺の葬式のときにはこの曲、墓碑銘には月下の一群のこの詩をよろしく」と言っていたのだが、その後、ふと横光の「夜の靴」を思い出したのだった。

 で、この「篆刻の美」というものは、印章における篆刻というよりは墓石に刻まれた文字ということになるのかもしれないのだが、それが確かに「死の海」に結びつくのは当然だとして、これに浮かぶ「生の美の象徴」とはいかなることなのか。

 結果としてこの死者のための墓石に刻む文字は生者にしか為し得ないからだ、というところが一つの解釈であるが、先の詩文に結びつけていけば、来たときは何もなく、行くときは墓石に名前を刻まれて逝くのだ、といった風な意味における生者の美、ということではなかろうか。無数の死者たちが漂う海で、何ものであったかを刻みつけた証として、それは美の象徴としてあるのだ、といったような。

 しかし、『月下の一群』の中にはヴァレリーの「失われた美酒」もあって

これは美酒を海に捨てる様を虚無への「供物」とするような態度であるのだが、そういったとき、この篆刻の美とは果たして。