Outside

Something is better than nothing.

泰然と超然

 ひたすらモチベーションが低下していく中で子育てというファクターだけが強化され、その喜びだけが生きるための糧になっているような気さえしてくるものなのだが、では今年、子育て以外に何をやったのか、あるいはやらなかったのか、ということを考えるにつけ、なんだこの体たらくはと己を叱咤することもなく泰然と超然を感じる。

 今年はよく分からないけれども、テキストマイニングだったりPowerBIだったり、ビジネスコラボレーションツールだったりに目を向ける機会が多く、自分の中ではあまりそれらに目を向ける機会がなかったので、そういった機会に恵まれたこと自体は非常に喜ばしいのだったが、かといって、自分が何をしたいのか、あるいはしていくのかということを考えたときに、どうしたってポジションだとか年齢だとか来歴だとかを意識せざるを得なく、その意識はもはや萎縮するものではなく、通過するものとしてそこにある。

 年齢、と書いたがここには良い面と悪い面がある。

 年齢によって、一種の経験値の蓄積を感じることが多いように思う。判断やその早さについて。一方で、その年齢の割に蓄積した経験値の儚さを思うと、働いているうちはいいが、その外側に目を向けたときに、どうなのかという点については考えざるを得ない。

 かつて私はある詩を書いたときに、このように書いた。私を私たらしめるのは、ただひたすらに私の明晰さなのだ、といったことを。

 小説は、その明晰な痕跡によって、直接的ではないが、しかし根源的なものを私に突きつける。突きつけられた剣の切っ先に、私の瞳が映っているのを感じる。瞳は、私の未来と過去を見通している。したがって、私の瞳は私以上に私を知っており、それを映す剣の切っ先もまた、私以上に私を映している。

 明瞭な意識は、私を夢から遠ざけるために覚醒を続けるが、夢としてはその境目の端緒から曖昧であるために、近いまたは遠いといった距離を問題にしない。意識は私を覚醒の陽の下に誘うが、夢は私を昼夜が逆転した屋敷に誘う。私は屋敷に入り、内部に足を向けると、そこには私の知っているものばかりが、まるで知らない形を装って並べられている。私は手元にある物に触れる。よそよそしく、冷たい他人のような顔をしているその物は、しかしかつて私が触れた某かであることを隠せていない。物は、私の手を煩わしそうに避けようとして、その硬さと温度を伝えることになるが、私はその手触りの夢心地に思わずうっとりとすることになる。

 夕べから私は眠っておらず、ここが今なのかそれとも明日なのか分からなくなってしまっている。明日の私ならば、おそらくいつものように起床して、眠っている妻と息子の穏やかな顔を触れるようにして一瞥して家を出て行ったはずだったが、今の私は彼らの眠るベッドの温もりに溺れて、動けずにいるようだった。

 屋敷の最奥に至った私は、絢爛の椅子に座る主人に相まみえることになる。彼なのか彼女なのか相貌からはうかがい知ることのできない絢爛の椅子に座った主人は、私を虫なのかそれともあまりに汚れてしまったため儀式のための生け贄にもならない供物のように扱って、紙に書き連ねることになる。

 呪われた私はおそらく屋敷から外に出ることはできない。深く深く屋敷の階段を上っていき、下降を繰り返していくことになる。最奥の人物は未だ動かない。

 来年は、あまりに小説を書かなかったことを反省し、もう少し小説を書く必要がある、と考えている。400字を最低でも1日で達成すべきKPIとして設定し、それを365日、そして12ヶ月で達成率を見ていく、といったレベルで何かしらを管理したい。

 SNSに呟くことがなくなってしまったので、最近はX(旧Twitter)を放置しているのだが、それは映画を放置しているのと同義なのかもしれない。映画を、ほとんど観なくなってしまった。観るべきものが他にあるからなのかもしれないのだが、少し考えたい。

 とにかく今年は酷かった——子育て以外。子の成長は目を見張るほどであり、常に喜びに満ち溢れ、私は苦手な料理すら積極的にするほどに至ったのだが、それ以外がぼろぼろだった。したがって、来年は持ち直していきたい。