『名探偵コナン 黒鉄の魚影』を観る。
冒頭、女性職員がキールに追われ、結果としてジンに殺害される。コナンは少年探偵団とともに八丈島のホエールウォッチングのための懸賞に当たる。灰原哀はフサエブランドの限定ブローチの整理券を当てるが、次に並んでいた老婦人に譲ることになる。懸賞があたった一行は八丈島に赴くが、そこで白鳥刑事がいることに気づき、何か事件の匂いを感じ取り、ホエールウォッチングのために乗った船から下りて、黒田管理官らの乗る船に潜り込む。八丈島近海にインターポールの海洋施設パシフィック・ブイが建設されており、彼らはそこの視察に赴いていた。世界中の監視カメラをAI技術によって識別し、また日本の監視カメラシステムも接続しようとしていたところだった。目玉となる技術は老若認証というもので、対象の老若を経た顔を識別するというもので、それは直美・アルジェントという技術者が開発したものだった。その技術を狙うため黒の組織が襲撃する。そこにはラムの側近であるピンガがやってきていると沖矢昴こと赤井秀一に知らされる。システムにバックドアが仕込まれ、海洋施設であることの死角を突かれ、ベルモットとバーボンにより海中を経由して直美が誘拐される。そして直美の持っていたペンダントから、シェリーこと灰原哀が生きている可能性が黒の組織に伝わり、ウォッカを中心に、ピンガらがコナンたちの泊まるホテルを襲撃する。灰原が誘拐され、コナンと阿笠博士は決死の追撃を行うものの、あと一歩のところで彼らを取り逃がし、さらには潜水艦に乗り込まれてしまい手が出せない。その後の警察の調査、パシフィック・ブイの監視カメラシステムによる追跡を行ったものの、黒の組織の痕跡どころか阿笠博士の車さえ映っていなかった。その後、エンジニアのレオンハルトが殺害される事件が起こり、事件は複雑さを増していく。灰原と直美は潜水艦の中でジンがウォッカたちと合流しようとしていることや、キールの機転により潜水艦からの脱出方法を悟る中で、ジンの到着とともに浮上した潜水艦から探偵バッジを経由してコナンと連絡を取り、なんとか脱出することに成功する。毛利小五郎に麻酔銃を打ち、コナンはレオンハルトの殺人を解決する。ディープフェイクにより偽装されたその事件の犯人は同じくエンジニアのグレースであり、その人こそピンガであった。ピンガは老若認証により工藤新一がコナンであることを看破し、対立するジンを出し抜く手土産にしようとパシフィック・ブイを脱出する。ベルモットの行動により、老若認証には欠陥があるということを組織内に知らしめ、シェリーと灰原の関連性は一旦はシステム上の欠陥であるという結論が出た後、バーボンとライによる共闘もあり、潜水艦に向けた攻撃を画策する。しかし、ジンも潜水艦からパシフィック・ブイを魚雷攻撃し、デコイを射出して攻撃をかわしていたものの、バックドアによりシステム障害が発生し、撃沈してしまう。コナンはライこと赤井に潜水艦を攻撃させるため、阿笠博士の海中スクーターを使用してボール射出ベルトから花火ボールを射出して、夜の海に沈む潜水艦の居場所をヘリコプターの赤井に知らしめ、赤井はロケットランチャーによる狙撃を行う。しかし、その最中、コナンは潜水艦のスクリューに沈み、灰原は彼を助けるためにバッテリー少ない海中スクーターで追いかけ、コナンを救出する。灰原は息ができなくなったコナンに人工呼吸を施す。処分が決まった潜水艦に入ろうとするピンガだったが、爆破処分が決まっていたためピンガは工藤新一の生存情報とともに海の藻屑と消える。駆けつけた蘭に、灰原はキスを返し、蘭に唇を返すのだった。直美は新たなパシフィック・ブイに相当する施設を作るため、日本を旅発つが、そこで宮野志保と分かった上で灰原と別れを交わす。ベルモットはなぜ灰原を助けたのか。婦人のマスクを破った彼女は、不敵に微笑みながらそれを探るのがシルバーブレットの役割だとブローチを煌めかせる。
灰原が主役級ということだが、意外とそうでもなく、それは『緋色の弾丸』でも感じたことだが、組織も含めて複雑化したキャラクターの織りなす群像劇(というほど群像でもない)によって、キャラクターの存在感がいまいち薄まっている印象があり、その結果として灰原というスポットはほとんど海中にしかないようすら感じる。つまり、あの人工呼吸もといキスである。海中で二人は言葉を交わすことになるのだが、共闘から来る信頼関係がそこにあり、明確な恋心を描くことになるこの映画は、灰原のキャラクターに今まで以上に明確な志向性を与えることになるのだろう。
パシフィック・ブイの老若認証のアイデアは面白かったものの、焦点が工藤新一と江戸川コナン、シェリー(宮野志保)と灰原哀に当たりすぎているような気もしており、もっと複雑にはなってしまうが怪盗キッドを絡めてもよかったような気がするというのは贅沢な悩みだろうか。魚雷で沈むパシフィック・ブイもあまりに贅沢な舞台であるような気がする。
大味とは違う、ちょっと予算が過剰なんじゃないか、と思うのだ。それは興行収益という外的な要因も関係しているのかもしれないのだが、さすがに二十六作目ということでどう考えてもネタは出尽くしている中で、ここまでしっかりと作っているのはさすがだな、と頭が下がる思いである。