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12月の振り返り(Stairway 12)

Information Literacy

 情報の取得とその整理について、何か明瞭な方針や確定的な方法論があるというわけではなく、最終的に自分自身のライフスタイルに合致したものを見つけていくしかないのだ、ということになるのだが、それを今年はさらにアウトプットしていくのだ、というところで、この階段は続いてきた。

 まず今月の記事の中で気にかかったものと言えば、フランスにおけるイエローベスト問題だろう。マクロンによる燃料税の引き上げに抗議する形で、反政府デモと治安部隊が激しく対立した。

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 最終的にマクロンが譲歩し、政府支出拡大による生活支援策を発表したことで、デモは収束していったのだが、政策推進力の低下や環境への負荷増大等の諸問題は残る――と言われている。大衆迎合主義としてのポピュリズム化がフランスにおいて言われるのだが、はたしてそうなのだろうかという思いも私自身はある。ブレイディみかこポピュリズムとポピュラリズムの違いについて解説したときに、後者を「大衆迎合主義」に近いものとして、前者を辞書的な意味として庶民の願望を代表する政治として述べてきた(ポピュリズムとポピュラリズム:トランプとスペインのポデモスは似ているのか(ブレイディみかこ) - 個人 - Yahoo!ニュース)。ピケティが述べるように、富裕層への課税をなおざりにしたまま、庶民への負担増を強いる政策について、説得力を持つはずがない(ピケティ解説「黄色いベスト」:ルモンド紙2018年12月8日朝刊 : おしゃべりな毎日)。

 引き続き、米中の対立は激化しているのだが、HUAWEIに対する圧力が全世界的に厳しくなった月だった。カナダで副会長が逮捕されたことに起因してか、本邦でも排除の傾向が続き、産経新聞の報道の後、HUAWEI産経新聞との間に訴訟が提起される等の動きが進んだ。また、HUAWEIは国内の主要紙に意見広告を掲載する等の動きを行なったものの、既存設備や新規調達からの排除の動き自体は加速している。

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 世間的にどの程度認知が進んだかは分からないものの、クーリエ・ジャポンにおける伊藤詩織責任編集「性暴力はなぜ起こる」における寄稿「拝啓 伊藤詩織様」には、心を動かす痛烈さがあった。セカンドレイプの凄まじさというのは(本質的にあってはならないことは重々承知の上で)世の常といったところで、この手紙の差出人にその後起こったことや伊藤本人に起こったことや現在起きていること(とある弁護士の気色悪いブログ記事等)という各種の「加害者たち」の反応は、常に被害者たちの今を、過去を、未来を汚し続ける。なぜ「加害者たち」は余計なことを言わずにはいられないのだろう、どうしてマウントを取りたがるのだろう、と思わずにはいられない。

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 あまり特筆すべきではなかったかもしれないものの、なんとなく心に残った記事として「『軍事政権だって、いいじゃない』という学生たち」があった。学生という存在については、個人的な意見としては所属大学によって、当人のポテンシャルや正確性の担保が定まるわけではなく、むしろ発展途上のそれらについて、常に一定の疑義を挟むべきだと思うのだが、もちろんこの記事に登場する強いリーダーシップを――彼らもまた発展途上であるがゆえに――求める希求心を考えなければならないだろう。もちろん学徒動員があった国において、その後の悲惨さについて彼らは学ぶべき途上であろうし、もちろん現代の独裁の形式についてもまだ発展途上的に学んでいる最中である彼らにとり、そういったややこしくて漸進的な知識よりも、明瞭な答えを提示する軍事政権的な決断力を欲したいのだろう、ということについて。

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 バーコード決済については、ファミリーマートの参入発表等もあり、さらに混迷を極めている気もするのだが、何はともあれ今月においてはソフトバンク/ヤフー系列におけるPayPayのキャンペーンが衝撃的だっただろう。20%の還元率は前代未聞だったが、その合計金額が100億円で、キャンペーン自体が10日間ほどで終わったこともまた衝撃的だった。その後のセキュリティ上の問題については杜撰の一言に尽きるが、それでもこのバーコード決済の認知については今月で認知および使用は高まったはずである。

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 火器管制レーダー照射やTPP、株安について触れるべきなのだろうが、現状において解決の目処や各種論評が出揃っていない感があるため、最後に平成という「時間」について触れて終わりたい。

 一国の君主が退位するということについて、少なくとも私は昭和の終わりに生を受けた人間として、生まれてからこれまで二度目の経験になろうかと思うのだけれども、もちろん昭和という時間については生を受けた途端の出来事だったため記憶にない。物心がつく前の出来事だったのだ。だから、今回が初めての経験なのだということだし、譲位するということは200年ぶりになるそうなのだから、現代に生きる本邦の人間にとり初めての経験になるということなのだけれども、この平成という時間において、この君主として、あるいは象徴として存立していた天皇の「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」という所感については、聞いていてこちらもかなりホッとしたのを覚えている。災害に見舞われることの多かった時代だったが、たしかにこの期間、本邦の国土において戦争が起きたことはなかった。時間を支配するがゆえに元号があるのだ、と何かの折に教わったことがあるのだが、時の支配者たる天皇の、次なる元号の発表については未だに錯綜し、方針が定らないのは残念に思う。

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 来年はもう少し整理した形でこういう時評的なことを続けていきたい。

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