Outside

Something is better than nothing.

『素晴らしき哉、人生!』(1946年)

 フランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生!』を観る。

 天上の世界ではある男が自殺しかかっており、その善良さゆえに助けるべきだという討議がなされ、翼を持たない二級天使のヘンリー・トラヴァース演じるクレランスが派遣されることになる。派遣前に、その男、つまりジェームズ・スチュアート演じるジョージ・ベイリーの人生が幼少期からおさらいされ、そり遊びをしているところ、弟ハリーを助けようと池に飛び込み、左耳の聴力を失う。薬局でアルバイトをしているとき、薬剤師のガウワーさんが息子が病死したという電報を受け取って、狼狽したまま薬を作ることになったので、叩かれながらも彼のミスを指摘する。また、後に美女となるグロリア・グレアム演じるバイオレットは幼少期に、ドナ・リード演じるメアリー・ハッチとジョージを巡って争う。ガウワーさんのミスを前に、父に助言を求めるため住宅金融社に駆け込むが、そこには町一番の金持ちであり、また嫌われ者であるライオネル・バリモア演じるヘンリー・ポッターがいる。ジョージは世界中を回り、大学に入り、やがては建築の世界で働きたいという夢があったが、高校卒業パーティーでメアリーとの再会、そして誰も住まない屋敷に願掛けのために石を投げて、また二人でいい感じになっているところに父が亡くなったという急報が来る。仕方なく夢を諦め、家業を継ぐことになったが、弟のハリーが大学卒業後に結婚相手を連れ立ってやってきたため、またしても夢は破れる。しかし、その後、メアリーと再会したジョージはようやく自分の思いに気づき、二人は結婚するものの、取り付け騒ぎに巻き込まれ、新婚旅行の費用を元手に要求払いに応じることになる。二人のささやかな生活は、あの願掛けをした屋敷で始まり、それぞれあくせく働きながら、やがて戦争が始まることになり、ハリーは戦争に行き、ジョージは耳の障害のために町に残ることになる。四人の子どもに恵まれた彼は、ポッターから破格の条件の下で住宅金融から手を引くことを暗にほのめかされるが、すんでのところで誘惑を断ち切る。そして最後に、叔父のビリーが八千ドルもの大金をなくしてしまう。銀行で預金するときに、ポッターと会い、ちょっとした小競り合いをしている中でポッターの手中に収まってしまったのだ。なくしたと思ったビリーは来た道を戻って探し回り、やがてジョージも探しに出かけることになるが、見つからない。家族に八つ当たりしたり、ポッターに懇願するが、生命保険があるため暗に自殺をそそのかされる。ジョージは資金繰りに困り果て、自殺を試みようとするところにクレランスが現れる。彼はジョージよりも先に橋から川に飛び込み、助けを求める。そして、クレイランはジョージの生まれてこなければよかったという言葉に対し、ジョージのいない世界を見せてやる。町の名前も何もかも変わり果ててしまった様子にジョージは自分の人生が素晴らしいことに気づき、家に戻って家族を抱きしめる。町中の人がやってきて、ジョージの善行に対し、心ばかりの寄付を申し出、また友人からは多額の資金融資の話がやってくる。クレランスからは『トム・ソーヤーの冒険』がメッセージ付きで送られ、天使が翼を授かったときに鳴るベルが響く。ジョージは皆と大合唱して大団円を迎える。

 以前に『群衆』(1941年)を観たときにも思ったわけだが、キャプラは基本的に映画作りが非常に上手く、これは今観たってそう思うところにこの映画の普遍的な面白さはある。やや家政婦の描き方について疑問が残るような描写もあったものの、これは時代的な制約とも言えるだろう。

 ジェームズ・スチュアートはあくまで善良で夢と希望溢れる一種の「アメリカ人」そのものを体現し、これはどちらかと言えばホイットマンに属するアメリカの人間像であろう(ちなみに対置されるがポーになるのだが、これは直前にボルヘスの対話集を読んでいたためになる)。

 キャプラの作品はあまり視聴できていないので、これからじっくり観ていきたいところである。今年最後に観た映画作品として、私自身の「2021年」を象徴するに相応しいような、そんな映画であった。