Outside

Something is better than nothing.

『シン・ウルトラマン』(2022年)

 樋口真嗣の『シン・ウルトラマン』を観る。

 日本において突如として禍威獣(怪獣)が出現し、被害が多発することから防災庁という組織に禍威獣特設対策室を設置し、西島秀俊演じる田村を班長に、斎藤工演じる神永、有岡大貴演じる滝、早見あかり演じる船縁が対応に当たることになった。ある日、謎めいた巨人ウルトラマンが出現したことから、この分析に長澤まさみ演じる浅見もメンバーに加わることになる。ウルトラマンが敵なのか味方なのか不明なまま、人間にとって好意的な行動を取るようになっていたところ、津田健次郎演じる外星人ザラブが現れ、ウルトラマンを人類の敵として位置づけ、人類に取り入ることを画策する。神永はザラブに捕らえられ、ザラブが偽装する偽のウルトラマンが町を破壊するものの、浅見が居所を突き止めて難を逃れる。その後、山本耕史演じるメフィラスが登場し、人類にベーターシステムをプレゼンテーションする。これは人類を巨大化させ、生体兵器化させうるものだった。そのために浅見が選ばれ、彼女は催眠状態に留め置かれたまま、巨大化することになる。メフィラスは神永とも接触を図りつつ、人類に対し、上位存在としての位置づけを与える見返りにベーターシステムを供与する条約を締結する。その段取りのために、竹野内豊演じる政府関係者は調整に走ることになる。神永はウルトラマンとして人類の庇護者として振る舞い、またベーターシステムの供給による外星人の襲来等を危惧し、メフィラスの野望を阻止することを決意し、対策室の面々と共謀し、ベーターシステムを奪取、かつ、ウルトラマンはメフィラスと対峙することになる。メフィラスはウルトラマンがかつて神永が子どもを庇うという自身の命を擲って行動した一人の人間に興味を見出し融合した光の星から来た外星人だと見抜いており、そのためにスペシウム133というエネルギーを十分に活用できないことを喝破していた。だが、山寺宏一演じるゾーフィの存在を認めたメフィラスは、状況が芳しくないことを察知し、呆気なく撤退することになる。対策室の面々は一種のクーデターを企てたため、政府に捕まるものの、田中哲司演じる宗像対策室長が交渉し、職務に復帰する。ゾーフィはウルトラマンに対し、外星人と地球人の融合が可能になったことに伴う危険性を周知し、地球を廃棄処分することを伝える。その結果として、ゼットンという自立型の兵器を設置し、地球を破壊することを告げる。ウルトラマンは対立し、ゼットンを破壊しようと企てるものの、逆に撃墜されてしまう。ウルトラマンという超人的な存在をもってしても撃退できないゼットンの存在に、人類は諦めの境地に至る。それは物理学をベースとしたサポートをしてきた滝も例外ではなかった。しかし、神永が残したデータの中に可能性を見出し奮起した滝は、国際会議を提案し、ゼットンの攻撃をマルチバースに移相する方法を考案する。そのためにウルトラマンは一瞬に満たないわずかな時間の攻撃が必要になり、それに成功する。しかし、死を覚悟してゼットンへの捨て身の攻撃をしたウルトラマンも、その裏返しの生への願望からゾーフィが異次元に漂うウルトラマンを見つけ、神永とウルトラマンとを分離し、神永は浅見たち仲間の元で目を覚ます。

 基本的には嫌いではない作品である、というのが第一印象である。案外BGMの使い方が嫌いではなく、場面ごとの画質の相違(たぶんスマートフォンによる撮影とカメラによる撮影の画質が異なっていることから生じているのだと思われる)を無視すれば、最後まで一定の集中を保つことができたように思う。画質の相違というか、この複数のカメラによる撮影が結果として効果を上げていたのか、という点については疑問が残るものの、これは大きな疑問というわけではない(しかし、大きさは相対的なものなので、次に記載する内容の方が気になった、ということになろうか)。

 従前よりさまざまなところで疑問符がつけられているが、特に長澤まさみが演じることになった浅見に関連する描写が気になった。要するにフェティッシュな描写であろう、というのが問題の根幹であると思われる。極めて個人的な嗜好だと思われるものが、脈絡もなく挿入されていることによる違和感が、せっかくそこまで悪いものではない『シン・ウルトラマン』に雑音をもたらしている。

 ウルトラマンについてはあまり知識はないのだが、スペシウム光線など、戦闘場面における静謐さのようなもの(あるいは、淡々と進行していく様)は好意的に感じられた。この淡々とした進行は、感情や意図などすべてを言語化しなければ物語が進行しない現象とは対極にあるように感じられる。そのため、かえってバランスの歪さの方が気になってしまった。言われているほど『シン・ゴジラ』(2016年)に比して、テンポなどが悪いようにも感じられず、一級品になり損ねたという感じがする。その理由は上述した二点に集約されるだろう。