Outside

Something is better than nothing.

『プラットフォーム』(2019年)

 ガルダー・ガステル=ウルティアの『プラットフォーム』を観る。

 イバン・マサゲ演じるゴレンは目覚めると、コンクリートで造られた部屋にいることに気づく。そこは中央にぽっかりと空洞が空いており、定期的に上階から豪華絢爛な料理が降りてくる。しかし、食い散らかされており、お世辞にも手を出そうとは思えない。食べないのか、と問いかけたソリオン・エギレオール演じるトリマガシという老人はその残飯を貪り食べる。48という数字があり、これが階数を表していると老人は告げる。そしてその階数は上階にあるためラッキーだとも。老人はこの施設のことを告げる。収容者は一つだけ物を持ち込むことができること。ゴレンは『ドン・キホーテ』を持ち込んで、トリマガシはサムライ・プラスというナイフを持ち込んでいる。食料はその場で食べなければならず、隠し持とうものならば部屋の温度が急激に熱くなるか、寒くなる。一ヶ月に一度、ランダムに部屋が変わる。ゴレンは最初、戸惑いつつもトリマガシと親交を深めていく。アレクサンドラ・マサンカイ演じるミハルがある日、プラットフォームに乗って食べ物とともに降りてくる。ゴレンは驚くが、トリマガシは無視するように言う。彼が言うには、彼女はこの建物のどこかにいる自分の子どもを探している。ゴレンは不思議な縁をミハルに感じるが、彼女はそのまま下の階に降りていく。しかし、その後、彼女の悲鳴が聞こえる。しかし、彼女は持っていた刃物で反撃し、下の階の人間は全滅する。一月が過ぎ、ガスによって睡眠させられた二人は目を覚ますと、171階にいる。ゴレンは愕然する。自分がベッドに縛り付けられていることに。トリマガシは君はカタツムリだと言う。エスカルゴとして食べられるカタツムリは絶食させて腸内を綺麗にした上で食べられるからだ。トリマガシに捕まったゴレンは、暴れ回るものの拘束が厳しくて抜け出せない。そしてプラットフォームには、下の階ということもあって食器しか残っていない。そうして彼らの空腹も極地に達したとき、トリマガシはゴレンの脚を食べようとナイフで切る。しかし、そこにプラットフォームからミハルが現れ、トリマガシを殺し、助けてくれる。極度の空腹から意識が混濁しているゴレンに、ミハルは献身的に尽くしてくれる。そして食べ物も分け与えてくれる。トリマガシという名の。一ヶ月が過ぎ、目を覚ますと今後は犬を連れたアントニア・サン・フアン演じるイモギリという女性と同室になる。上階にいる彼女は、かつてこの施設に送り込みを行っていた女性で、がんに冒されている。この施設における理念を説いた彼女は、上階から下の階へ食べ物を残すように努めるが、まったく話を聞き入れてもらえない。何度か試すうちにゴレンは言うことを聞かないと食べ物にクソをするぞ、とゴレンが言うと、ようやく聞き入れてもらえる。しかし、ハミルが現れ、イモギリの犬を殺してから状況は変化する。一ヶ月が経ち、一気に下の階に降りた彼女はすぐに自殺し、ゴレンのための肉を提供する。そうして一ヶ月が過ぎ、今後は6階に移った彼は、エミリオ・ブワレ演じるバハラットに出会う。彼は、ロープを使い上階に行く神のお告げを聞いたのだった。しかし、5階の連中に手伝ってもらったところ、すんでのところで彼はクソをかけられて、落下する。危うくそのまま下に落ちかねないところをゴレンが助けてやり、一命を取り留めるものの、ゴレンはある作戦を練る。それは、下に落ちていく時間から逆算すると250階程度のこの施設の最下層まで行き、食べ物を分配の上、上昇するといったものだった。彼らは下降していくが、その過程である老人に出会い、運営へのメッセージとして無傷のパンナコッタを残すように言われ、それを実行する。ふたたび下降していくと、ハミルが殺されてしまう。助けようとゴレンやバハラットも怪我を負う。最下層と思っていた250階はとうに通り過ぎてしまう。誰もいないフロアは無視して下っていくからだ。そのまま下降し、333階まで辿り着いたとき、二人は何者かがいることに気づく。子どもだ。ハミルが探していた子ども、それにイモギリが16歳未満の子どもはいないはずだと言っていた子どもが、目の前にいる。彼女に、彼らは守ってきたパンナコッタを食べさせる。そうして、子どもこそが彼らへのメッセージとなるとバハラットは告げ、彼は息を引き取る。ゴレンは子どもとともにプラットフォームに乗り込み、最下層に辿り着く。そのまま最上階まで行こうと思ったが、幻覚として現れたトリマガシが彼をプラットフォームから降りるように言い、彼は降りる。そうしてプラットフォームは子どもを乗せ、最上階へと戻っていく。

 いわゆるシチュエーション・スリラーのような作品なのだが、おそらく神との関係性のようなものを描いているのであろう作品である。最上階、0階にはプラットフォームに料理を乗せる料理人たちがおり、彼らは忠実に職務を果たしているように見受けられる。それは冒頭を始めとして、ところどころインサートされる料理のシーンでも特徴的である。その神の掟のようなものを前に、この不倒のバベルの塔は原則的には一つずつ階を下っていき分配を志すものの、上階の人間が贈り物を欲しいままにしているがために最下層には分配されない。

 333階という意味深な数字(おそらく一つのフロアに2人の人間が配置されていることから「666」という悪魔の数字をイメージしているのだと思われるが)、人肉食、謎めいた子ども、極度な貧富の差などのイメージを膨らませていき、上階の人間がほとんど手の届かない存在として描かれていることが興味深い。6階にいたときでさえ、0階の存在は雲の上のような印象だった。だとすれば1階はどうなるのだろうか。

 解釈に余地があり、子どもの存在は333階という誰も訪れないであろうフロアで、なぜ健康そうに暮らしていたのかも不思議であるし、そもそもハミルとの関係性もどうなのかとも思われる。

 かなり面白い作品だった。