Outside

Something is better than nothing.

『死刑にいたる病』(2022年)

 白石和彌の『死刑にいたる病』を観る。

 阿部サダヲ演じる榛村大和は町のパン屋を営むかたわら、十七歳から十八歳の黒髪の真面目そうな高校生という特定のターゲットを執拗に付け狙い、長期にわたって関係を築き、最後には凄惨な拷問を加えて殺害する、といった猟奇的な殺人鬼で、もはや本人は何名殺害したかまでは覚えていないものの、立件された九件の殺人のうち、一件だけは殺害を否定している。同じ町に住み榛村とも面識のあった岡田健史演じる筧井雅也は、鈴木卓爾演じる厳格な父の和夫と中山美穂演じる何をするにも人の顔を伺う衿子の元で育ち、父に抑圧されていた。中学生のときに榛村のパン屋に足繁く通っていた彼は、父の望まない学力水準の低い大学に通うようになり、鬱屈した日々を過ごしている。そんなある日、彼は榛村から手紙を貰う。恐る恐る面会した彼は、榛村の口から最後の殺人事件の真犯人を見つけて欲しいと頼まれる。岩田剛典演じる金山一輝と不可解な邂逅を交えつつ、彼は榛村の弁護士の元に向かい、榛村の事件を辿っていくことになる。中学生のときに知り合った宮崎優演じる加納灯里と再会を果たしつつも、しかし大学生活との折り合いをうまくつけることができないまま、反比例するように榛村の事件にのめり込んでいく雅也は、弁護士の助手を騙り、事件関係者と面会を繰り返し、彼なりに真相に辿り着こうとする。そこで、彼は一つの衝撃的な事実に辿り着く。実家に戻った際、彼は母である衿子と榛村に面識がある、ということに。当時の関係者に当たり、衿子は榛村の義母の元に身を寄せており、望まない妊娠をしてしまった。そして、その相手は。厳格な父による愛がない家庭に育った雅也は、次第に榛村が父親なのではないかと思い始める。面会でそれを問いただす雅也に、榛村は否定も肯定もしない。連続殺人鬼という父親を持つのだと思った雅也は気が大きくなり、灯里の連んでいる仲間に喧嘩を打ったり、道の途中でぶつかった相手をあわや殺しかけてしまう。その帰り道、灯里が雅也のアパート前におり、そこから雅也は灯里と男女の仲になる。事件を追いかけていくと、かつて榛村により虐待を受けた金山に辿り着く。金山の証言により、榛村に有罪判決が下ったのだった。そして、金山と最後の被害者の間には接点があることを突き止める。真犯人は金山だ、と認識した雅也は最後の被害者が亡くなった山に再度訪れ、聞き込みを行う。しかし、付近で怪しい物音がしたと思い振り返ると、金山がいた。殺されると思った雅也はすぐにその場から逃げ去ろうとするが、金山が追いかけてくる。金山に捕まり、もう駄目だと思ったものの、金山は真実を語り始める。雅也は再度、榛村と面会し、榛村が父親ではないこと、また最後の時間は金山に罪悪感を抱かせた上で、榛村自身が殺害したことを突き止める。雅也と榛村の面会は終わりを告げようとする。最後に雅也は、被害者の爪のことを聞く。雅也の中で、事件は終わり、灯里との時間が流れていくことになる。しかし、ある夜に彼女の爪を褒めたことをきっかけに、彼女が豹変する。驚いた雅也と、転がる彼女のバッグ。そこから出てきたのは榛村の手紙だった。

 最後の部分はやや蛇足であるようの気もするのだけれども、基本的には非常に面白い作品だった。冒頭、榛村が爪をばら撒いているところはどう見たって花びらのように見えるところが露悪的で良いと思う。

 榛村大和という、どこにでもいそうな善良さの陰に、深刻な闇を抱えさせている。その闇はもちろん殺人鬼としてのそれでもあるのだろうと思うのだが、榛村の近隣住民が口にし、また雅也が途中で入れ込んでしまった「感じの良さ」、つまり心理的な人間操作こそ本当の闇なのかもしれない。我々は単純接触効果の果てに、殺人鬼に対してシンパシーを感じてしまう生き物であるのだ。そしてそれはストックホルム症候群のように偶発的なものであればまだしも、榛村自身が意図的に操作している、というところにたちの悪さがあるように思う。単純に比較すべきものでもないが、黒沢清の『クリーピー』(2016年)にはなかった、人間の心理的な操作の裏付けが説得力をもって描かれていたように思う。