Outside

Something is better than nothing.

『ヴィレッジ』(2023年)

 藤井直人の『ヴィレッジ』を観る。

 横浜流星演じる片山優は霞門村のゴミ処理場で働くかたわら、ヤクザの仕切る違法廃棄物の不法投棄に関与している。彼はかつて自分の父親がゴミ処理場の建設反対運動を行ったあげく、村八分に遭い、その首謀者を殺害の上、火を放ち自身も自殺したという経歴を持ち、犯罪者の息子としての負い目がある。また、西田尚美演じる彼の母である君枝もギャンブル中毒になってしまい、多額の借金を抱え、杉本哲太演じる丸岡というヤクザに借金をしてしまっている。優は村の中で色眼鏡で見られ、また母親の借金のため働き、そこから抜け出すことはできない。一ノ瀬ワタル演じる大橋透は彼の幼馴染みだが、そんな境遇の彼をいいように使っており、古田新太演じる透の父、秀作は霞門村の村長としてゴミ処理場の助成金を得るため、政治家への根回しを忘れない。そんな行き詰まった優の元に、ある日彼の幼馴染みで東京に出ていた黒木華演じる美咲が訪れる。彼女はゴミ処理場の会社で働くこととなり、広報を務める。優と美咲は霞門村の伝統でもある能を通じて幼い頃の共通の思い出があるが、現在の境遇の違いに互いは完全に隔たっているように見える。だが、中村獅童演じる修作の弟、光吉が彼らを繋げ、少しずつ優は美咲に心を開いていく。美咲は優を小学生の見学ツアーの説明者に抜擢し、会社のイメージアップ、そして村のイメージアップのため尽力していくこととなる。このことがきっかけでどん底にあった優の生活は、持ち直していくことになる。優と美咲はそれぞれを支え合うパートナーとなる。しかし、幸福も長くは続かない。透は美咲に思いを馳せており、さらには犯罪者の息子である優を見下していたため、面白くない。透は美咲の家を訪れ、彼女を暴力をもって奪おうとするものの、テレビ番組の取材対応のため帰宅が遅くなってしまった優に邪魔され、腹いせに優を殴り殺さんばかりの勢いで殴ることになる。その翌日、優と美咲は生放送のために控え室にいる。彼の顔は腫れ、二人は心底辛そうにしている。その痣は化粧でごまかされ、生放送の収録は無事に終わり、広報としては大成功に終わった。霞門村はこれをきっかけに環境問題に先進的に取り組み、能という伝統を共存させた村として生まれ変わり、年間百万人もの人が訪れる場所に変わる。そして、ギャンブル依存症だった優の母親は、少なくとも社会生活を真っ当に送れるほど回復を見せる。作間龍斗演じる恵一は美咲の弟だが内気で、しかし優には懐いており、高校を卒業後、ゴミ収集所の会社に勤めることになる。ある日彼は、そこに不法投棄された危険なゴミを発見し、光吉の元に駆けつける。修作も承知の上で行っていた不法投棄は、警察の知るところとなり、奥平大兼演じる龍太を始めとする作業員とヤクザが警察に逮捕される事態になる。修作は外聞と村の存続のため、事態の収拾を一方的に優に命令することになる。しかし、そこへ優と美咲が恐れていたことが起きる。化学物質の他に、男性の遺体が発見されてしまったのだった。もちろんそれは透の遺体であり、状況の隠蔽を図るため、優は一部始終を見ていた恵一に偽証を依頼することになるが、恵一はそれを拒み、押し問答をしているうちに乗っていた車が木にぶつかってしまう。事態の収拾を断念した優は、透が死んだ日を回想する。透に殴り殺されたそうになったその瞬間、美咲が側にあったハサミで透の首元を刺し、殺害したのだった。その後、二人で遺体を埋めた。修作の元を訪れた優はすべてを打ち明ける。しかし、修作は自身の息子が殺されたことについてはさほど気にしておらず、村の存続をひたすら気にするのだった。そして、かつて優の父親が引き起こしたことについて優が修作に問いただすと、修作はあまり覚えていないと答える。優は逆行し、修作の首を絞め、大橋邸に火を放つ。そこには木野花演じるふみもいたが、火炎に包まれてしまう。光吉が大橋邸を去る優に声をかけるが、すべては終わった後だった。そして最後に、恵一は村を出て行くのだった。

 非常に重たい話が、重たく展開されていく。事態は何一つとして改善されず、ただひたすらに破滅に向かっていくということだけが観客にも分かるように展開していくので、観ているこちらは「能」に関する美咲の発言(夢、能は自分を映すものといった)がその後の展開にトレースしていくのだろうと思ってしまい、烙印を押された片山優という存在の悲惨さを再確認していくことになる。意図されたものかは分からないが、これは優という存在の辿った十数年間を凝縮したものだ、と言わんばかりに。

 村の中の人間関係は映画の尺の問題だとは思われるものの、おおよそ「幼馴染み」という関係性と「会社(社会)」に二分され、前者は優−美咲−透に、後者は「ゴミ収集所」−修作−丸岡によって表されている。そこへ光吉とほとんど黙って見つめているだけの大橋ふみによって一定のパースペクティブ(関係性の)が与えられることになり、そして時間的なパースペクティブを作中象徴的に扱われている「能」によって与えられていることになろう。

 横浜流星は片山優という非常に困難な役割を、猫背をうまく駆使しながら見事に演じている。私はあまりこの俳優の作品を観ているわけではないが、俳優として非常に優れている、と感じられた。黒木華は、美しさという点ではもしかするともっと他の女優の方がその属性を帯びているのかもしれないのだが、この『ヴィレッジ』という作品において、何と言えばいいのか、優や透の関係性が崩れる理由となる「顔」を備えている。美人過ぎないし、可愛すぎない。彼女は別にファム・ファタールのような存在、銀幕のスターではなく、普通にいる、都会で心を病んで田舎に戻ってきた女性なのだ。

 優がシューシューという息遣いを行い、また前半においてゴミを仕分けるところで謎めいた「穴」からその音を聞くことになるその息遣いは、明確に何を表しているのかという点については一定の留保が必要だろうと思うが、彼の怒り、やるせなさ、憤り、そして呪縛のようなものだと思う。

 作中の人物たちが「村」を巡る評価を見ても分かるように、謎めいた呪縛、足かせがこの村にはあり、それを政治家にへこへこしながら補助金のため、自身の会社のため、そして村のために奔走しつつ、政治家たちに弟の光吉の方がふみの評価は高かったと陰口を言われる修作に現れている。タイトルにもなっている「ヴィレッジ」、村という場。ここに彼らの苦悩がある。

 まずもって脚本がいいと思うし、作中の登場人物の誰一人が悪い意味で邦画にあるような自身の感情をすべて言語化した上で台詞として叫ばなければならないといった悪しきルールに則っていない、というところに好感が持てる。映像はシンプルで無駄がなく、この複雑に重厚さを湛えた、呼び名だけでは「かもんむら」とファンキーでさえある(作中、「かもん村へようこそ」といったパンフレットがあったかと思う)霞門村という名称からは想像できない重たさを、冒頭からひしひしと感じさせてくれる(字面だけで見れば、村を出て行く「門」は「霞」なのだ、ということなのか?そして、来ることは英語的な発想で言えば積極的であり、作品中でも観光業が盛んになる)。

 非常に良い作品であった。