Outside

Something is better than nothing.

月を指して指を認む

Moon

 読書猿の『独学大全』(ダイヤモンド社)をようやく読み終わることができたのだが、その中に長年、きちんと正しい言葉を知らないまま使っていた言葉があってそれがタイトルにもある「月を指して指を認む」というものなのだが、説明を前掲書から引用すると、

 我々が教導するのは、師の現にある姿でなく、そうあろうとする姿である。つまり我々が本当に師事すべきなのは、相手が実在の肉体を持った現実の人物である場合ですら、まだ現存していない架空の師であるのだ。「月を指して指を認む」(月を指差して教えたのに月を見ないで指ばかり見ている、の意)の愚を犯してはならない。師匠という「指」でなく、師匠が見つめるその先(「月」)を見よ。
独学大全――絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法、P.184)

 ということである。誠にその通りだと述べるより他はない言葉で、私はこれを大学生のときに聞いた。尊敬していた教授が仰っていた言葉で、これもこれで一つの学習に際しての原初的な体験ということになるのかもしれないのだが、私はそれを学習においてというよりは仕事においてもモチベーションとしている節がある。

 それはともかくとして、昨今の新型コロナウイルスの第三波の状況については政府の無策っぷりを嘆くばかりで、これはこれで途方もない後退を感じることになるのだが、どこもかしこも撤退戦の最中であるように感じられ、いよいよ貧しくなるとはこういうことなのかと、気持ちが緊縮財政下における人々の心情に限りなく近づいてきて、年末も近いというのに萎縮して仕方ない。もちろん景気良くパーっと飲むわけにも行かないので、つい先日、飲み納めもしてきたところである。

 ところで、ブレイディみかこの新刊『ブロークン・ブリテンに聞け』(講談社)が出ていたので読んでいた。その中で気になった点があったので引用しておきたい。

 その事実を踏まえたうえでも、カミングスが閉じこもっていた倉庫のドアにびっしり書かれていた夥しい数の言葉たちは衝撃的だ。E U離脱投票後、世界中の識者たちがいろんな言葉を使って結果を分析してきたが、それらの言葉はすでに全部あのドアに書かれていた。
 そして膨大なデータを分析してそこから結論を導き出すように、パブで聞き込んだ膨大な数の言葉を書き出してそこから導き出したスローガン(つまり、言葉)は「TAKE BACK CONTROL」だったのだ。
 残留派はデータやエビデンスを重んじるばかりに、スローガンが人の感情や想像力におよぼす力を軽視していた。むかしから、檄文というのはあっても、檄データなんてものはないのである。
 現代の英国の混乱ぶりを見れば、E U離脱投票で主権を回復したのは、英国でも、英国の人々でもない。あの投票で真に覇権を回復したのは、「言葉」だったのかもしれない。

ブロークン・ブリテンに聞け Listen to Broken Britain、P.98)

  これはイギリスにおけるEU離脱問題があった頃の、離脱派と残留派のそれぞれの選挙キャンペーンを担うことになった担当者のドキュメンタリーについての文章で、カミングスというのが離脱派の側の人間なのだが、彼はパブに通ってはせっせと「言葉」を収集し、最後にはキャンペーンの「言葉」を編み出すに至る、ということがここに書かれている。

 これを読んでいて、まさにそうだ、ということを私は思った。檄文というものは存在するが、檄データというものは存在しないわけである。ここ数年の政治状況において「言葉」ほど、その存在、役割、機能、美学、意味が毀損されたものはないだろう。思い出せばイギリスのボリス・ジョンソン現首相は確かギリシア語でイリアスオデュッセイアかを暗誦していた、という動画があったような気がするのだが、あの彼ですらレトリックというものはあったのかもしれない。あるいは、それこそが本質的な意味におけるリテラシーであった、と。

 言うまでもなくここ数年の「言葉」を巡る日本の混乱は、例えば「ご飯論法」という詭弁以前の用法からも明らかなように、自己破壊的なものである。既存の枠組み、既存の論理の強度に耐えかねて、言葉としての自立性すら危うくなっているではないか。

 そして、話は冒頭に戻るが、言葉としての自立性を担保できなくなったところに、月を語る言葉を持たないために月を指すこともできず、できないために月などそもそも存在しないことにして指以外を見ようとする者を排除する。結果的に誰しも指しか見なくなり、その指の動きを目で追った挙句に混乱を来す。指の動きは不定なので、目指す先が行き当たりばったりになるのは当然なのだ。

 以前に私は、我々は深く深く潜るしかない、といったような「言葉」を書いたことがある。今もって似たような認識を抱いていることは事実なのだが、我々は月を見るためにまず潜らなければならないほど酷い状況にあるのかもしれない。