非常にどうでもいい類推をしてみたくなるときがあるのだが、例えばそれは読書を読んでいて、本筋とは別の、ちょっとした想像を膨らました結果として、そういったどうでもいい類推はある。
最近の私は極端に読書量が減った反省もあって、今年から月に二冊は新書を読もうと決めた。新刊に限らず、興味の赴くままに本屋に寄ったり電子書籍販売ページで検索したりしているときに、三谷太一郎『日本の近代とは何であったか 問題史的考察』(岩波新書、2018年)を見つけた。
その中に森鴎外の作品について触れた箇所がある。
鷗外の「史伝」には、澀江抽斎、伊澤蘭軒、北條霞亭などの個人が題名として冠されていますが、「史伝」の実質は、それら個人というよりも、それら個人によって象徴される知的共同体そのものなのです。これら学者個人に対する鷗外の評価は別として、彼らの知名度が同時代の、同一分野の学者・文人の中では必ずしも高くなかったことは、「史伝」が事実上対象としたものが何であったかを考えれば、偶然とはいえません。 (Kindle版、位置No.916-929)
鴎外の晩年の作品群を私は読んでおらず、せいぜい代表作であるところのいくつかの短編小説を読んでいるくらいで、その中でも唯一好きなのが「杯」である程度の人間なのだが、それはともかくとして鴎外のこのパッと見ただけでは正しく読むことができないかもしれない人々の「史伝」は、三谷によると上記のような位置づけであるらしい。
文学作品というものがこういう役割を担っているのか、ということについて、何となく、「言われてみればそうかもしれないよな」とは思ったものの、「知的共同体そのもの」の象徴として、先の三人物が題名として冠せられることになる、ということに興味を覚えた。
これは現代で言ってみれば「アルファ」なんちゃらに代表される、特定の人物を示しつつも、その内実はその人物を象徴として広がる「共同体」ではあるのだろう。知的、とは言わないにしても。
個人的な思い出として初期のTwitterがサロン的な雰囲気をサロンというものの内実を知らない私ですら感じたというところに、この三人物の議論や手紙といった文学的な交流の中で果たされた知的共同体に近いものがあったのかもしれない。
この「知的共同体」は、その後の近代日本における「議論による政治」の萌芽として繋がっていく土壌とはなったのかもしれないのだが、歴史上いくつものかくのごとき「共同体」は枚挙に暇がないほどに構築され、そして消えていったのだろうと思われる。