Outside

Something is better than nothing.

『ゴースト・イン・ザ・シェル』(2017年)

 ルパート・サンダースの『ゴースト・イン・ザ・シェル』を観る。

 スカーレット・ヨハンソン演じるミラ・キリアン少佐はテロの被害に遭ったことで身体の大部分を失い、ハンカ・ロボティックス社による実験により、唯一使えそうな脳だけが義体(サイボーグ)に移植され、実験体として初めて成功する。公安9課に配属された彼女は、その特異体質を活かして数々の活躍をするが、彼女のゴースト(魂)が記憶を喚起する。ジュリエット・ビノシュ演じるオウレイ博士は彼女を献身的にサポートするが、ハンカ社の人間であるため、その社長であるカッターの意向を無視することはできない。怪しげな憶測が飛び交う中で、ある日、マイケル・ピット演じるクゼと呼ばれる謎の人物がハッキングを行い、テロ行為を行うに至り、北野武演じる荒巻以下の公安9課はその犯人を挙げるために全力で動き、ピルー・アスベック演じるバトー、チン・ハン演じるトグサらと共に黒幕を追求する。しかし、その最中にミラは自分の記憶が操作されているのではないかという疑いを持つにつれ、本来敵対関係にあったはずのクゼに一面では共感する。そしてクゼを追い求めるうちに、クゼもまた自身と同じく義体化した人間であることが判明し、ミラが人間として初めて義体化していたという説明に齟齬が生じるに至って、ハンカ社に疑いを持つ。そこでミラは自分の持っているテロに遭って義体化したという記憶が偽りであることを知る。オウレイ博士はハンカ社の方針であるミラ殺害に逆らい、彼女に記憶のルーツを示すヒントを授け、激昂したカッター社長に殺害される。桃井かおり演じるハイリの元を訪ねたミラは、かつてそこに草薙素子という名の女性がいたことを知り、その人物が紛れもない自分自身であることを理解する。彼女はクゼとともに親元を離れて家出していたところをハンカ社に襲撃され、実験のために利用されたのだった。その襲撃現場を訪れたミラは、クゼとともに記憶を再確認していたが、そこへカッター社長が多脚戦車を遠隔操作して襲撃する。ボロボロになりながらも戦車を退けたミラは、死にゆくクゼを看取る。一方荒巻もまた社長を追い詰めて、彼の正義を執行する。事件が一段落したミラは、正義のために戦うのだった。

 もちろんルパート・サンダースと言えば、『スノー・ホワイト』(2012年)という、結構な駄作を撮った監督と記憶しており、『ゴースト・イン・ザ・シェル』の監督が彼だということを知って、かなり不安であったものの、世評に反して私はこの作品については結構満足できたのだった。

 押井守の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(2012年)をこの映画を観る直前に観返していたこともあって、重なるシーンなどのオマージュというかリスペクトというか、そういったものはいくつもあって、それはそれで良かったとは思う。ちなみに士郎正宗の原作は未読なのだが、どのくらいに原作と乖離があるのだろうか。

 それはいいとして、この映画はおそらく誰が撮っても何らかの意味で貶されるということであるので、原作準拠や原作のイメージ(この場合は押井版も「原作」に含まれるだろう)はさておき、個人的にはスカーレット・ヨハンソンがひたすらに美しい存在であってくれて、私はそれだけで眼福だった。

 劇中の街のイメージは『ブレードランナー』とその後に公開された『ブレードランナー 2049』の、あの雑多で汚れた街並みで、これもまた「原作」のイメージの延長にあるわけで、それはもううんざりするくらいに手垢がついた「近未来」――クリーンな近未来、ダーティーな「近未来」は、世代的なものもあるとは思うのだが、私は『ブレードランナー』的な「近未来」に郷愁をあまり感じられない、たぶん私(たち?)の近未来とは『トゥモロー・ワールド』(2006年)的なものなのじゃないか、と思いつつ、今のもっと若い人たちの近未来観がどうなのか私には想像できない――であって、この書き割りはこういうものだとして流すより他はない書き割りである。

 個人的に感心したのはアクションで、『マトリックス』的な清新なアクションシーンが堪能できる作りになっており、『ジョン・ウィック』での乾いた殺人劇ではないものを垣間見ることができる。

 ただ1995年に公開された「原作」時点での近未来的な風景と、2017年に観る近未来的風景との間の、絶望的な落差というものについて思いを馳せてしまう。いずれにしても(『ブレードランナー』を含めて)、あの広告的な空間というのは一時代のトレンドでしかないのだろうし、たぶん我々はそのいずれにも行き着かずに、『トゥモロー・ワールド』的な近未来に突き進んでいる。

 だからおそらく士郎正宗の原作準拠なのかもしれないのだが、押井版の原作における閉塞感から抜け出して、ミラは最後には正義のために戦うことにしたのだろう、と個人的には思っている。