Outside

Something is better than nothing.

頭痛の日

Headache

頭痛持ち

 頭痛に苦しめられることが多くなった。医学的に因果関係について明瞭ではないと聞いたことがあるものの、私の場合、天気が悪くなると頭が痛くなる。

 子供のときから、たしかに頭痛に悩まされていたのだけれども、しかし大人になって、しかもアラサーと呼ばれる年齢帯に近づくにつれ、その頻度は多くなった。幸いにして群発頭痛ではないのが救いではあるのだが(友人にそれを煩っているのがいて、それはもう大層辛そうだった)、それでも頭痛というものは避けがたい宿命のような執拗さでつきまとっては離れない。

 ゆえに、頭痛が酷くなると家の中に籠もるようになるのだったが――いや、元より家に籠もりがちの私であるのだから、さほど差異はあるまい。卵が先か、鶏が先か――そういう類の話なのかもしれず、あるいは頭痛があるからこそ今の私があるのだ、という逆説もまた成り立つのかもしれない。

遺伝的性質

 考えてみると父親も頭痛に悩まされている人間であった。であった、と過去形で書いたものの、これは現在も続いている症候で、決して根治したものではない。そして記憶の中では父親が頭痛を訴え始めると、私の母親はにわかに嫌な顔をしたように思う。

 無論のこと心配する気持ちもあった、と母の名誉のために記さなければならないだろう。しかしながら、根本的に頭痛というものは個人的なものでしかないのだ。だから私が頭痛を覚え始めても、それは他人にとっては「見えないもの」でしかない。

 頭が痛いとき、頭の血管がドクドクと脈を打ち、あるいは継続的な圧迫感が続き、不快な思いをしながら、それでも活動を止めるわけにもいかず、致し方なく日常的な動作と精神活動を行わなければならないのだけれども、恐ろしいまでに精彩を欠くこととなる。

不安

 延々と頭痛薬をポリポリと貪っていくしか解決方法はないのかもしれないのだが、感覚的には頭痛薬の何らかの成分が脳に沈殿していき、それ自体が頭痛を誘発するような性質を持つようになるのではないか、という不安もあるにはある。

 セルフメディケーション税制を充分に活用できるのではないか、というくらいに頭痛薬を購入しているような気もしないでもないのだが、その頭痛薬はというと、これまた私がよく罹る風邪を治すための風邪薬とは併用してはならないらしくて、それはそれで辛い思いをするのだった。

 頭痛を取るか、風邪を取るか――といった。