Outside

Something is better than nothing.

太るということ

Fat girl

 体重の変化に伴う諸々の身体感覚の変化、ということについて、私は長らく無縁だった。峰なゆかの『アラサーちゃん』シリーズのどこかで、文系くんと名指された男性が、三十代という時間軸に身を置いたときにお腹の部分だけがぽっこりと「太り」始める段に至って、私は自分が訪れるかもしれない未来を予感したことは素直に告白しなければならないのだが、それでも来るべき「その瞬間」まで、いやしかし私はひとまずは無関係なのだ、という自負があった。

 この「無関係」は、定量的にも述べることができる。私は十数年にわたって小説を書いてきた人間であるのだが、その中で太ることに関する記述は(良し悪しを別にして)わずか二回に留まる。そのうち一回はタイトルを「太る」としており、これはテーマとして太ることを扱った唯一の作品ではあるが、もう一回は作中に「太った」という一度のみの記載があるだけで、本質的には体重の変化とは関係がない。

 前述した「太る」という作品については、十年以上前に書いた、ほんの800字程度の短い作品ではあるのだが私の記憶には残っていて、これは私の持病の治療のためにステロイドを投与していた時期に書いたものだった。ステロイドを投与したことの副作用として、私の顔は「太り」始めた。中肉中背の男であるところの私にとって、そのとき初めて「太る」ことが(私の)身体に発生する事象なのだ、ということを、身をもって経験することになったのだが、薬の副作用というのは絶妙で、私の生活習慣如何を問わず、ひたすら太り続けるという傍迷惑なものだった。

 思春期真っ只中だった私はこの副作用にえらく傷ついたのを覚えている。顔がパンパンになる、という状態といえば分かりやすいだろうか、体にはいささかの変化もなく、顔だけが膨れ始めるのだから、私自身ですらそうだったし、周囲の人々も驚いていた。

 幸いにして一年ばかりの投与期間を終えると、体の変化は収まった。それ以降、私の中で「太る」ということが差し迫った問題になったことはなかった。思えば大学時代も定期的にランニングを行っていたように思うし、そもそも食生活も質素なものが多かったので太りようがなかったのだ。

 状況が変わったのは、私に飲酒の習慣ができ、その習慣が次第に恥知らずなものに変わってからのことになる。飲酒の習慣ができたとき、酒というものが私の中で耐え難い欲求として立ち上ってくることに驚いた。それは渇きの習慣と言い換えてもいいくらい、喉の渇きから来るものだったからだ。子供の頃、それはコーラやその他の炭酸飲料で満たされていたのかもしれない。けれども、今となってはビールだ。ロシア人はビールを生命の水だとか言っているそうだが、これは言い得て妙であり、私も頷くところであった。

 この生命の水は、人間の生命を担保するのだからおそらく高エネルギーなのだろう。気づけば私は、いつかフィクションの中で見たとおりのお腹になってしまっているではないか。そして体重計に乗れば、一番痩せていたときよりも十キロも増えている。あまりのことに、私は絶句した。だが、それは紛れもなく真実なのであった。

 それから痩せようと思ったことは数知れぬが、いずれも恥知らずな欲求のために果たされることはなかった。つまり、私はそれからも飲み、飲むことに付随して食べるのだった。

 思い返せば私の顔がかつて薬の副作用でパンパンに膨れたことなど「太る」の範疇になど入らないのだった。「太る」ということは、痩せることを忘却している状態のことであり、「太り」続ける、ということなのであろう。

 今や私のお腹は、先に述べた文系くんのようにぽっこりしている。これはまだアラサーなのでここに留まっているのだろうが、おそらくこのまま行けば、この現象は全身に及ぶに違いない。