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Something is better than nothing.

『新聞記者』(2019年)

新聞記者

新聞記者

  • シム・ウンギョン
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 藤井直人の『新聞記者』を観る。

 シム・ウンギョン演じる吉岡エリカは東都新聞に務める新聞記者で、北村有起哉演じる陣野から大学新設計画に関する書類を受け取り、調査を命じられる。一方、内閣情報調査室に勤める松坂桃李演じる杉原拓海は、本田翼演じる出産間近の妻奈津美を養いながら、外務省畑から離れた内閣情報調査室で働いている。田中哲司演じる上司の多田から国を守るための指示が飛んでくるので、それに対してのカバーストーリーのようなものを作成しているのだった。杉原には、外務省時代の高橋和也演じる神崎という元上司がいたが、彼は不祥事の責任を負わされている。吉岡は調査を進める過程で神崎に行き着くが、時を同じくして神崎が自殺してしまう。杉原は激しく動揺するものの、調査室の中で自分とは関わりのないところで神崎に対する操作が行われていたらしいことを知る。神崎の葬儀の場で週刊誌が遺族に対して過剰な報道をする中で、かつて誤報をきっかけに自殺に追い込まれた父親の葬儀と被った吉岡は、つい報道陣に対して制止する。これをきっっかけに吉岡と杉原は出会うことになる。その後、二人は協力を進め、神崎が軍事転用も可能な生物兵器を研究する施設を大学として認可申請するという、本来ならば文科省の管轄であるはずの事象が内閣府で処理されている。裏を取るために杉原はリスクを冒して、写真を撮り、場合によっては実名を出してもよいというところまでこぎ着け、ようやくスクープとして世に出ることになる。杉原は妻とともに産まれたばかりの子を家に帰るその日にスクープは出る。官邸は火消しのために吉岡の過去を週刊誌に暴き立て、東都新聞側は次の一手を検討することになる。多田は沈静化を図るために、杉原に対し、キャリアを約束する。動揺する杉原を前に、次の一手のために動き始めた吉岡は必死でコンタクトを取ろうと何度も携帯電話に着信を入れるが、交差点を隔てて二人は向かい合う。

 いわゆる森友・加計問題の問題を「新聞記者」という視点人物を通して、フィクションとして描き出した作品である、ということはここ数年間、日本に住んでいる人ならば説明不要な事象であるが、記しておこう。

 シム・ウンギョンは状況に対し、切実に追いかける経験の浅い記者を熱演し、その執念は父親のかつての誤報という動機づけがなされている。松坂桃李は杉原という官僚社会において疑問を抱く若い官僚を熱演し、本田翼という妊婦の存在がこれを補完している。

 俳優自体は適切に配置されていると思われるのだが、『トラフィック』(2000年)のように内閣情報調査室でのシーンは青黒い色彩を基調とした部屋になっているのだが、これはあまりに杉原の心理を表しすぎており、あざとさを感じる。何もあんな暗い部屋で作業などしなくてもよいのである。

 現実のあまりに馬鹿馬鹿しい縁故政治に嫌気が差したのだろう、大学認可はここでは生物兵器という理由づけがされているのだが、これ自体は構わないと思うのだが、(繰り返すが)現実のあまりのお粗末さをオーバーラップして観てしまうこちらとしては、熱量を投入すべき事象のようには思えない(が、再三にわたって恐縮だが、現実の方がもっともっと馬鹿らしいのでどうしようもない)。

 この不器用でありながら、あるいはであるからこそのシリアスさについては一定の評価をしたいと思うのだが、現実のあまりの馬鹿馬鹿しさの前では『ドント・ルック・アップ』(2021年)の狂乱と空白にはまったく及ばない。我々はもっとどうしようもない地点にいるのだし、この「新聞記者」もまた文春砲の持つ馬鹿馬鹿しいシリアスさ(シリアスな馬鹿馬鹿しさ?)にはまったく及んでいないような気がする。

 察するに、ここでモラルとして託されている「新聞記者」を成立させるための社会的使命(我々は新聞記者のあまりの傍若無人ぶりや厚顔無恥ぶりを知らないわけではないし、そもそも戦中における新聞メディアの破廉恥さを忘れているわけではない)が、そもそもとして成立していないところ、あるいは「清廉」を前提としているところに無理があるような気がする。