Outside

Something is better than nothing.

『罪の声』(2020年)

 土井裕泰の『罪の声』を観る。

 京都市内でテーラーを営む星野源演じる曽根俊也は、ある日、父の遺品の中からカセットテープと手帳を見つける。手帳は英語で書かれており、カセットテープには俊也自身の幼い頃の声が録音されている。一方、大日新聞の小栗旬演じる阿久津英士は、数十年前に発生した「ギン萬事件」について年末企画記事を書くことにより、調査を始める。この事件は、菓子メーカー社長が誘拐され身代金を要求したり、菓子に毒物を入れたことを仄めかす脅迫文を送りつけたりした後に、犯人特定できないまま未解決事件となったもので、阿久津は類似する海外の事件の調査のためにイギリスに出張したりするのだが、思うように成果が上がらない。一方で俊也は、自分のルーツを辿るために調査を続けていき、やがて伯父の可能性に行きあたる。手帳にギン萬事件との関連性が仄めかされ、それを元に事件を再調査するような形で犯人グループが使用したと思しき料亭や、俊也同様に犯人グループが警察を翻弄するために使用したテープの、他の声の主を調査していく。料亭の板長をきっかけに、俊也と阿久津は接近し、事件は思いもよらない形を示すようになる。他の声として使われた子供たちは、一家離散し、悲惨な運命を辿っていることが分かる。また、俊也の伯父が犯人グループに関係していたことに加え、母親が彼の声を録音していた、ということが分かる。

 いわゆるグリコ・森永事件を下敷きにした物語ということになるのだが、キーとなるものはその犯罪で使われた子供たちの声、というところを掘り下げたところに独自性がある。演出は一定し、対象に対する距離感もほど良い。邦画特有というか過剰な傾向にあると感じられる、感情面に寄り添いすぎる演出は確かにあるものの、しかし題材の選択が適切であるために過剰とは見えないところにこの映画の良さがある。

 星野源は誠実で慎ましい人物を演じ、小栗旬は野心を一度折られた人物を演じている。そしてこの二人が出会ったときの関係性の煌めきのようなものが見事に描かれているようにも感じられ、そういった意味で言えば物語、演出、役者ともにベストな選択だったのではないか、と思う。

 一点だけあるとすれば、全共闘の時代がこのパースペクティブの中にあって、一つ異質なものとして映り過ぎてしまうというところであり、宇崎竜童演じる俊也の伯父・達夫の「化石」という言葉がまさに適切だったのかもしれない。どちらかと言えば元刑事やヤクザたちの金に対する執着の方が(引き起こされた悲劇はもちろん痛ましいものであることは否定しないが)微笑ましいとさえ思えてしまう。