Outside

Something is better than nothing.

『ミッドナイト・スカイ』(2020年)

 ジョージ・クルーニーの『ミッドナイト・スカイ』を観る。Netflix映画。

 ジョージ・クルーニー演じるオーガスティン・ロフトハウスは北極で宇宙船に対して交信を試みている。彼は地球の居住環境が著しく悪化した結果、北極や短期間であれば地下でのみ生存できるようになってしまったという人類の現状を、木製の衛星で、人間の居住が可能であると見込まれている星を調査し、帰還中の宇宙船に伝えたいと考えている。宇宙船の中では、フェリシティ・ジョーンズ演じるアイリス・サリヴァンが通信機で地球と交信しようとするが、交信は途絶えている。彼女はデヴィッド・オイェロウォ演じるゴードン・アドウォール船長との間に子供ができており、お腹が少し大きい。カイル・チャンドラー演じるミッチェル大佐は、ティファニー・ブーン演じるマヤ・ローレンスをまるで娘のようにほほ笑ましく接しており、デミアン・ビチル演じるサンチェスは家族との思い出を完全再現した食卓で、地球帰還に向けて思い出に浸っている。彼らは二年間もの間、調査に携わっていた。オーガスティンは地球環境の悪化により、体調を崩しており、時折血を吐いたり、激しく咳き込む。そんな折、基地の中でカイリン・スプリンガル演じるアイリスに出会う。彼女は話せないらしいが、孤独な老人の生活の中に彼女が紛れ込む。彼女と共に宇宙船と交信するため、四方を山で囲われた基地に向かうことになるのだが、幾多もの困難が待ち構え、荷物やモービルは失われ、海水にも浸かる。しかし、彼らは困難の果てに基地に辿り着き、宇宙船と交信を試みることになる。宇宙船のアイリスと交信が繋がったのも束の間、デブリによって船はダメージを受け、船外活動にてアンテナを修復しなければならなくなる。修復は完了したが、作業中に再びデブリに襲われた一行はマヤを失うことになる。地球にも近づき、交信を再開させた一行は、地球がもはや居住環境として適していないということを知る。しかし、サンチェスは家族を探すため、ミッチェル大佐はマヤの遺体を埋葬するために地球に向かうことになる。地球を旋回して、再び木製の衛星に向かうことになったアイリスとゴードン船長は、そもそもその衛星を過去において発見するなど、数々の宇宙への足がかりを見つけたであろうオーガスティンと最後の会話をする。彼はアイリスが、仕事にかまけて別れることになってしまった妻との間にできた子供であったこと、基地で出会った彼女は幻であったことを悟る。通信は終わり、娘と伝えられないまま、宇宙船は木星に向かっていくのだった。

 何かが起こったことそのものではなく、これに付随した出来事を描いたものである。ジョージ・クルーニーは(一見すると、確実に歳を重ねており、この髭のもしゃもしゃとした感じが演じられるオーガスティンのキャラクターをそのまま表すことになるのだが)使命感に駆られたこのオーガスティンという孤独な男を熱演している。物語はもうすでに終焉が見えており、あまり希望という希望はない。この映画は、そんな状況下にあって、一種の責任感のようなものを描いている作品だ、と言うことができるだろう。

 オーガスティンが基地内でアイリスを見つけてからの一連の流れについては少し楽しげなものを感じたのだが、前半部分がとにかく停滞しており、この吹雪く世界のホワイトアウトっぷりが恐らくこれを雄弁に物語っている。白い闇、という奴なのだ。

 そのため物語の進行はほとんど宇宙船に託さざるを得なくなるのだが、これまた彼らも彼らで終焉が見えている。それは彼らのミッションが結実し、成果を持ち帰ろうとしているところだからだ。そのため、後に再び戻ることになるとは知らず、宇宙船はデブリで大損害を被ることになるのだが、未来を考えると暗澹とする。

 ところで、こういう最後の人類というのはどのようなモチベーションとして位置づけられているのだろう。女の子を宿したアイリスは、父親と一緒に居住可能な衛星に辿り着けたとしても、そこから「種」としてはどのように展開していくのだろうか、と不思議に思う(コロニーがあったので、そこではもう少し人類がいる、という話なのかもしれない)。『ドント・ルック・アップ』(2021年)でも同じことを思ったのが、あの映画でも最後に別の惑星に辿り着いた面々は、およそ生殖には相応しくない年齢層のように見受けられた(もちろん、作品の意図は別にあるため、ここでのリアリティはあまり意味を為さないと思うが気にかかったので)。