Outside

Something is better than nothing.

歯の遍歴

 歯医者にかかって、おおよそ三ヶ月ばかりになる。八月の新婚旅行の途中で歯痛に悩まされるようになり、帰国してすぐに歯医者に行こうと思っていたが、それが延びて、手元の診察券を見る限り九月の半ばに罹ったことになる。激痛であった。痛い痛いと呻き続けて、仕事も全然手につかず、周囲にも迷惑をかけている気がしていたのだった。

 私は元より歯医者は好きである。治っていく、という感覚が端的に嫌いではないのだ。正常に戻っていく快さ、とでも言おうか。

 ただ、ここ数年ばかりはあまり歯医者にかかっておらず、最後にかかったのは思えば大学四年生のときだったかと思われる。そのときは吉祥寺に住んでおり、自宅の近くの、高級な感じを受ける歯医者にかかったのであった――親知らずを抜くために。

 記憶によれば、さほど痛くなかったようである。かつて親知らずを抜いた私の父親は、一週間ばかり熱にうなされたと言っていたので、親知らずを抜く段になって私はだいぶ覚悟をしたのだった。

 いや、だって、痛いじゃん――と。しかし、話はとんとん拍子で進み、いざ歯を抜いてみると、さほど痛くはなかった。その後、他にも虫歯が見つかり、歯医者に一度かかると芋づる式に他の治療すべき歯が見つかっていきなかなか解放されない、あの状況に陥って、私はそのとき最後に歯石を取ったのだった。

 激痛である。これはもう親知らずを抜く以上の痛みである。ちょっと涙さえ出たのだった。もちろん歯磨きをきちんと行うことのできない私が悪いのであって、医者が悪いわけではないことは分かるにしても、分かるにしても、通わなくなった。

 そのとき私は金欠だった。大学生の常(だと私は信じたいが)で、私はそのとき口座の残高が七万円くらいしかなく、さらに数万円の家賃の支払いを控えている身であった。仕送り生活の心もとなさよ。なので私は体の良い断り文句を使うことにした。

「すいません、今お金がないんで」

 今思うと馬鹿みたいだが、しかし嘘ではないが本当でもない言い訳だったのだった。それから私はその高級な感じを受ける歯医者に通わなくなったのであった。

 記憶の糸を辿れば、もちろんそれよりも前に歯医者にかかったことはあり、私は歯磨きの仕方がきっと悪いのだろう、よく虫歯になる人間で、昔から歯医者によくかかっていた。

 小学生のころ、初めて親に連れられずに一人で歯医者に行ったときのことである。私は母親から十六時に予約を取ってあるからと告げられて、診察券とお金を握りしめて歯医者に向かった。歯医者に着いて、私はソファに座って十六時が訪れるのを今か今かと待っていた。退屈しのぎにコミックを読んでいた。やがて十六時が訪れた。しかし私の名前は呼ばれない。十分が過ぎた。呼ばれない。まだだろうか。不安な気持ちが、だんだんと大きくなってくる。二十分が過ぎた。しかし、まだ名前は呼ばれない。三十分、呼ばれない。私は歯医者を出た。

 家に帰って母親に本当に予約を取ったかと問い質すと、もちろん取ったと母親は告げた。どうしてだろうと二人で首を傾げていると、母親は私に尋ねて、私の行動を洗い始めた。私は隠し立てすることでもなかったので、素直に母親に応じた。歯医者に行って、ソファに座り、コミックを読んでいた。ただそれだけである。しかし母親は気づいた。

「あんた、受付したの?」

「え?」

 つまりは、そういうことだったのだ。私は母親に呆れられるどころか大笑いされ、私の恥ずかしい記憶の一つに刻まれることになったのだった。

 歯医者にまつわる記憶は多い。今かかっている歯医者も、とても面白い方で、私が今までかかってきた歯医者の中で、具体的なことは同業者でもないので分からないのだが、印象としてはもっとも優秀な感じがするのだが、とにかく口数が多く、治療中はひたすら何かを言っている。ぶつぶつ言っていると言えばそうなのだが、歯にまつわる知識の披露や、いかにして人は虫歯になるのか、といったことであったり、日米における歯科医の地位の違いについて、であったり、日本歯科治療業界における健康保険の問題について、であったりと、歯を中心に実に多岐に渡る。

 しかし、こちらは歯の治療真っ最中であるわけで、いちいち頷いたり話に応じたりするわけにもいかず、むしろただ聞いているだけなのだが、私の状況上致し方ない沈黙に一向に構わずにひたすら喋り散らしている様は、歯を治療する者としての使命感すら感じてしまうから不思議なものだ。せっかちな性格であり、どう考えてもワーカーホリック気味であるその様は、医者の不養生という言葉をも連想させてしまうのであり、腕については全幅の信頼を今のところは置いているのだけれども……という感じをだんだんと強めているのであった今日この頃。

広告を非表示にする