Outside

Something is better than nothing.

動画と音楽

 新型コロナウイルスに関連して、通常業務の激務っぷりに拍車がかかったこと、そして今年度からやや体制面が変わって(というか端的に言えば、「ボス」が変わって)、七面倒臭い仕事ばかりやらされているような気がしていたのだが、ここに来て動画を軸に何か作れ、みたいな無茶なことが来てから、多少なりとも見える景色が変わった。

 職場における動画の意味するところは撮りっぱなし/流しっぱなしである、というところなのだが、ただそれをするとクオリティという面でどうしようもない代物しかできないのではないか、という懸念があった。そこで、自前のiPad Proを持ち出して、動画編集に手を出してみることにしたのだった。

 結果から言うと、むちゃくちゃ面白い仕事(ワーク)ができた。クオリティはもはや二の次で、クリエイティブ系に関して言えば文章表現以外の方法を持たなかった私にとって、初めての動画編集は今後の可能性を感じさせてくれるものであった――三十歳を過ぎても。

 クリント・イーストウッドは学ぶに遅すぎるということはないといったようなことを言っているし、『正法眼蔵随聞記』にも同様のことが書いてあることを知って以来、何かを学ぶということについては年齢を抜きにして考えていたのだが、そういう機会が私にも訪れたのである、と思ったのと同時に、つまらない仕事(ジョブ)をし続けているよなあ、と思ったのを覚えている。ジョブの方の仕事に関しては、さすがに時間的な制約があるのと、キャリアステップを考えるとおいそれと決断は何もできない。

 それにしても何かを作るということはむちゃくちゃ面白いことである――ということを思い出させてくれたのは、前述のとおりではあるのだけれども、たまたまNintendo Switch版の『ドラゴンクエストビルダーズ2 破壊神シドーとからっぽの島 – Switch』を手に取ったことも大きい。夢中になって何かを作るということはどういうことだったのか、ということを思い出させてくれたように思う。

 で、先日、妻と一緒にテレビを観ていると、妻がふと音楽を作りたいと言い出したのでアプリストアでMedlyというものを発見してふたりで弄り始めると、私の方がハマってしまった次第で、その休みの間に十一曲ほど作ってしまった。素人なので高度な作曲はできないけれども、十代から二十代前半にかけて、一瞬だけ作曲ができないかと考えていた時期があり、技術的な問題から諦めたことがあったので、これは望外の喜びであった。

 何度か試してみたことはあるのだが、絵を描くことだけはどうしてもセンスがなくて無理ではあるのだけれども、今般、動画と音楽について、多少なりとも作ることができるようになった、ということは喜ばしい。本業――ということでもないのだが――の文章表現の方がからっきしになっていることは嘆かわしいところだけれども。

 最後に、作曲した二曲を紹介して本文を終える。


sakura / Joe Kuga

 


beach of sky / Joe Kuga【Medly】