Outside

Something is better than nothing.

『チェリー』(2021年)

 ルッソ兄弟の『チェリー』を観る。AppleTV+映画。

 トム・ホランド演じる主人公は、冒頭、銀行強盗を行う。これにはそこに至る経緯があり、彼は時系列で自身の半生を語ることとする。彼はシアラ・ブラヴォ演じるエミリーと出会い恋に落ち、しかし彼女が自分の愛に確信が持てず、カナダの大学に行こうと別れを切り出したところで、彼は彼女への思いを断ち切るために軍に入ることにする。しかし、エミリーとの関係修復が行われてしまい、最初の動機を失ってしまったところで、関係性の強化を目論んで結婚し、結局軍隊に入ることになるので、訓練が始まる。その見せかけの訓練の後、イラクに派遣されることになるのだが、そこは本物の戦争の場所で訓練時代から仲のよかった友人さえ失ってしまう二年間を送る。帰還兵としてアメリカに戻ってきてからエミリーと生活を送ることになるが、PTSDを発症した彼は日常生活を送れなくなってくる。そこで彼らの生活にドラッグが登場し、最初は彼のみ摂取していたが、度重なる生活破綻を繰り返すうちにエミリーもまたドラッグに手を染めるようになる。悪い友人に預かってくれと頼まれた金庫をドラッグ欲しさに破壊して中身をくすねてしまい、それをその友人が家を来訪したときに警官のふりをしたものだから慌てて捨ててしまったところで、悪い友人のそのまた上にいる存在の金をどうするんだといった問題に直面し、困った主人公は銀行強盗することになる。金がなくなったら強盗を繰り返していたため、彼らの生活はどんどん荒廃していくし、撃たれた仲間を見捨てたりもする。ある日エミリーがオーバードーズして病院に運ばれることで転機が訪れるのだが、結局元締めが出てきて金を返すために銀行強盗をせざるを得なくなり、冒頭に戻る。しかし、この瞬間、彼は良心なのか気まぐれなのか、金だけ返してエミリーの安全を確保した後、警察に捕まることになるので、そこで模範囚として暮らし、仮釈放の申請も通る。刑務所から出てきたとき、彼はエミリーと再会するのだった。

 基本的にはPTSDという題材がメインというよりは、破綻したラブストーリーが話の主軸であって、話の形式としてはよくあるものだろうと思う。トム・ホランドはこの破綻したラブ・ストーリーの主人公を好演しており、世間を舐め腐ってシアラ・ブラヴォ演じるエミリー以外に「目」が行かないという「愛」の強さを揺るがせない。

 この、時には社会的な規範すら容易に飛び越えてしまう「愛」の強さを前に、おそらくは世界中がどうでもいいのだろう、銀行名は「信用ゼロ銀行」だったり、銀行強盗の最中にストーリーが一度途切れ、カメラの向こう側の我々にトム・ホランドが語りかけてきたりもするのだが、その薄ら寒さのようなものはロッソ兄弟の洗練によって多少は後景に退けられている。

 どう見たって自分勝手なストーリーであり、自分勝手さに「愛」の自覚によって(途中からはドラッグを摂取しているのでいささか微妙な判定になるかもしれないのだが)主体的にこの混乱に飛び込んでくるシアラ・ブラヴォの破綻も凄まじい。もちろんフィクションではあるのだが、あんな細腕に何発も注射器を打ち込んでいては壊れてしまうではないか、という危うさがあったのだろうか、彼女は銀行強盗には加わらないし、外の世界における暴力からは遠のいている。これはかなり古典的ではないだろうか、とも思うのだった。『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000年)のジェニファー・コネリー演じるマリオンは、この暴力の渦に巻き込まれていくことになっていたはずである。

 個人的に気になったのは、このどうしようもない自分勝手さをアメリカ社会で成立させているのは、ひとえに彼が「白人」である、ということだろうと思うのだった。トム・ホランドにけちをつけるつもりはないのだが、この小憎たらしいキャラクターのためなのか、余計に彼の「白人」性が気にかかってしまう。