アントン・フークアの『THE GUILTY/ギルティ』を観る。Netflix映画。
ジェイク・ジレンホール演じるジョー・ベイラーは緊急通報を受ける通信課でオペレーターとして勤務しているが、これはあくまで一時的なもので、翌日には何かしらの裁判を控えている。彼は何か苛立ちを抱えながらも勤務していたが、エミリーという女性から受電する。彼女は混乱した様子で誘拐されたことを伝える。状況を確認するジョーだったが、エミリーは混乱しており要領を得ない。状況から察するに、子供に電話するふりをして緊急通報を行ったものだと判断したジョーは、彼女の様子を注意深く窺っていく。彼女には子供が二人おり、別れた夫がいることが分かる。折しも街は山火事で混乱しており、交通警察などの実動部隊を自由に動かすことは叶わない。断片的な情報から交通警察に白いバンを停めて職務質問してもらうものの、関係ない車両だった。ジョーは知り合いの警官にも個人的に協力してもらいつつ、独自にエミリーを救い出そうとする。だが、そのたびに山火事の影響や令状の問題が立ちふさがり、うまくいかない。時間の経過とともにようやくエミリーの家に警察官が巡回する。そして、エミリーの娘が保護されるものの、赤ん坊の息子が息をしていないことが分かる。家は血だらけだという状況が告げられるも、その後の進展が分からない。相棒にもエミリーの元夫のところに行ってもらい、自分の個人携帯電話でも元夫の電話番号に電話してみるも、思うように状況が改善しない。諦めかけたその時、エミリーから通報がある。彼女にアドバイスをし、シートベルトをした上でサイドブレーキをするように言い含めるもうまくいかず、トランクに押し込められた彼女に再度トランクにあったレンガで相手の頭を殴るように言う。これは復讐なのだ、と。車が停まり、彼女は元夫に応戦し逃げ出すことができる。しかし、驚愕の事実が判明する。彼女は精神病を患っており、自分の息子の腹に蛇がいるものだと思い込んで開腹してしまったのだ。そして元夫はそんな状況に対して病院への収監を決意し、エミリーを病院に連れていっていたことが判明する。ジョーは元夫に連絡し、その事実を確認した後、エミリーを探す。ようやく電話に出た彼女は、これから飛び降りるつもりだと語る。声をかけて思い止まらせようとするジョーだが、エミリーは耳を傾けない。ジョーは自身の抱えていた罪を吐露する。それは未成年の少年を自らの苛立ちのために殺害してしまったことだった。彼女はそれを聞き届けて電話が切られる。ジョーは彼女が死んだと思ったが、保護されたことが分かる。長い夜勤が終わり、彼はトイレで泣く。相棒に電話をかけ、明日の裁判ではありのままを語るようにと頼む。彼は裁判所ですべての罪を認めるのだった。
司令塔映画というジャンルがあるのか分からないのだが、限定的な空間(ここでは通信課)のみ基本的には映し出され、ジェイク・ジレンホール演じるジョーはこの限定的な空間から一歩も外に出ることなく、話が運ばれる。そのため状況が音声でしか伝わらず、例えば「血が出ている」といった状況も台詞でしか分からない。それがどのくらいのものなのか、どこから出ているものなのか、致命的なのかどうかも分からない。これをオペレーターたるジョーは独自に組み立てて、一つの「状況」を構築していくことになる。
背景となる山火事が混乱する状況を見事に表しており、また警官による殺人といったテーマも適切な配置だと考えられる。冒頭、ジョーは喘息のためトイレの鏡の前で吸引機を吸うが、これがこの映画の軸だろう。彼はむせ返るような何か、咳をしても止めたい何かを抱えており、それをひたすら吸引機で止めている。
しかし、映画の結末では彼は血を吐くことで、陳腐な言い回しだが胸のつっかえが取れることになる。そのため、彼は人工的な光によって余すところなく映し出された洗面所と鏡を去らなければならず、自分の罪の暗さに相応しいトイレの個室にこもって相棒に電話することになる。
オペレーターが告解部屋だとすれば(最初の方で売春婦を買おうとして物を盗また男が出てくるが、通報といった形によって逆説的に罪は隠蔽されている)、トイレはここでは外界となっており、そのためにジョーは通信課の部屋を出て、光輝くトイレに入らなければならなかった。だが、その罪なき世界では息苦しく、吸引機を片時も手放すことができないため、彼は彼の暗がりに相応しい場所に逃げ込まなければならなかったのである。
状況は適切に配置され、整理されてもいる。抑制の効いた演出に、ジェイク・ジレンホールの演技が際立っている。