Outside

Something is better than nothing.

『スプリット』(2016年)

スプリット (字幕版)

スプリット (字幕版)

 

 シャマランの『スプリット』を観る。

 アニャ・テイラー=ジョイ演じるケイシー・クックは父親を亡くし叔父に引き取られたものの虐待を受け、そのことがきっかけなのか学校でも同級生と距離を置いていたのだが、お義理で誘われた同級生の誕生日パーティーの帰り道、叔父と連絡がつかず途方に暮れていたところ、好意で同級生の父親から車で家まで送るという申し出を受けて車に乗り込んだところまではよかったものの、そこにジェームズ・マカヴォイ演じる何者かが乗り込んでくる。同級生ふたりは恐怖に戦きながら、抵抗しようとするもののスプレーで眠らされ、逃げようと必死に状況を探っていたケイシーもまた眠らされてしまう。場面は変わってどこかの一室に監禁されたらしきケイシーたちは、そこで何者か――デニスが彼女たちを何らかの生贄のようなものに捧げようとしていることを知る。パニックに陥る彼女たちに対して、冷静に状況を認識していき、逃げるチャンスを掴もうとするケイシーだったが、デニスが登場するたびに人格が変わっていき、彼が解離性同一性障害であることを見抜き、現れたヘドウィグという少年の人格に対して逃げるアプローチを試みる。他方で、状況に応じて逃げるチャンスを探る彼女たちだったが、失敗するたびにひとりずつ監禁されてしまうので、最終的には全員独房のようなものに入れられてしまうことになる。デニスたちは ベティ・バックリー演じるフレッチャー博士のもとに通っていたが、フレッチャー博士は通常彼女の前に現れるバリーという人格がデニスに変わっていることに気づき、彼の行動を一つずつ検証していく。数週間前に起きた、誘拐された女の子ふたりがバリーの手を彼女たちの胸に押し当てるという一種の度胸試しをきっかけとして、幼い頃に虐待されていたオリジナルの人格「ケビン」の心理的な抑圧が吹き上がり、結果として好戦的なデニスが登場したということが判明する。同時に、彼と協力人格であるパトリシアは「ビースト」という超常的な能力を持つ人格を呼び出そうとしていることも分かる。やがて、フレッチャー博士はデニスのもとに訪れるのだったが、デニスが女性を監禁していることが分かったと同時に、ビーストを呼び起こすタイミングとも合致してしまい、彼女は殺され、また覚醒したビースト人格により、誘拐された女の子ふたりも食べられてしまう。ケイシーは運よく逃げることができたのだが、しかしさまざまな障害が彼女の足を止める。だが、フレッチャー博士が残した、オリジナル人格のフルネームを呼ぶようにというメモを見て機転を利かせ、ケビンを呼び出すことに成功するものの、すぐにビースト人格に切り替わってしまう。ただ、その間に銃の在処を知ったケイシーは応戦するものの、何発かの銃弾を浴びせてもビーストを殺すことができない。彼女は檻の中にあえて逃げ込んだが、ビーストは鉄格子を素手でたわませることができるほどの怪力を持っており、あわや殺されそうになったところ、彼女の虐待された身体を見て、彼女が自分と同じ境遇にあることを知り、彼は彼女を見逃す。そして彼はどこかに逃げ去っていく。場面が変わり、どこにでもあるような食堂で食事をしている女性がぽつりと、これと同じような事件が昔あったと呟くと、傍にいたブルース・ウィリス演じる男が応じる――「ミスター・ガラスだ」と。

 観終えて、前情報を全然知らなかったので、最後に『アンブレイカブル』(2000年)と共通したストーリーなのだということに驚いた。独立した話だと思っていた。

 で、観終えて、続編たる『ミスター・ガラス』(2019年)を観なければなんともというところなのだが、状況は割と細かく閉鎖的で、説得力もあったように思う。ただ後半につれて、要するに『アンブレイカブル』的な世界観というか、つまりある種の超常能力が存在する(かもしれない)というところになってきて、『アンブレイカブル』の静謐とした説得力からはやや後退したものになっていく。

 個人的には『ハプニング』(2008年)以来の、女優がドンピシャとマッチした瞬間だった。つまりケイシー・クックを演じたアニャ・テイラー=ジョイの美しさである。画面の中の状況に戸惑い、しかし冷静に事を好転させようとする彼女の演技には惚れ惚れとするものがあった。続編にも出るらしいので、楽しみである。