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Something is better than nothing.

『マクベス』(2021年)

 ジョエル・コーエンの『マクベス』を観る。AppleTV+の映画。

 デンゼル・ワシントン演じるマクベスはバーティ・カーヴェル演じるバンクォーとともに荒野でキャスリン・ハンター演じる魔女に出会い、予言を授かる。マクベスはやがてコーダーの領主となり、さらには王となること。また、バンクォーは自分にも予言がないのかと魔女に尋ね、その子孫が王となることが告げられる。使者によって、ブレンダン・グリーソン演じるダンカン王より戦勝の勲として、マクベスはコーダーの領主として任じられることになる。まず一つ目の予言が成就する。戦勝の報告に行き、ダンカン王はハリー・メリング演じる自身の息子マルカムを後継者として指名し、マクベスをコーダーの領主として任命することを高らかに宣言する。フランシス・マクドマーンド演じるマクベス夫人は、マクベスから手紙を受け取り、野心を高ぶらせることになる。マクベスの城にダンカン王がやってきたときを狙い、彼らは共謀してダンカン王を亡き者とし、マクベスが王位に就くことを画策する。マクベス夫人は護衛に眠り薬の入ったワインを飲ませて昏睡させ、その間にマクベスは護衛の短剣をもってダンカン王を弑逆する。その手についた血のりそのままに、マクベスは短剣を持って帰ってしまう。マクベス夫人はその短剣を護衛の傍に戻してくる。翌朝、王が起きてこないことを不審に思った側近たちは、寝室を検めると惨劇が起きている。マクベスは何食わぬ顔でそこに登場し、怒りのあまりと偽って護衛たちを殺害する。危険を感じたマルカムはその場を脱出し、それをもって父殺しとしてマクベスはマルカムを断じることになる。王位を簒奪することに成功したマクベスは、マクベス夫人とともに栄華を極めようと考えていたが、気掛かりなのはバンクォーの存在だった。ブライアン・トンプソン演じる暗殺者らにバンクォーとその子フリーアンス殺害を命じる。アレックス・ハッセル演じるロスは暗殺の現場に居合わせ、フリーアンスを助ける。宴会の場でカラスが部屋に入ってきたのを皮切りに、マクベスは少しずつ現実と幻の境があいまいになり、今し方殺害したと報告を受けたバンクォーが自分を攻撃してくる。彼は疑心暗鬼の塊になり、コーリー・ホーキンズ演じるマクダフがイングランドに亡命したことをきっかけに虐殺に走り、モーゼス・イングラム演じるマクダフ夫人とその子らを虐殺する。スコットランド国内は荒廃し、イングランドに亡命しているマルカムとマクダフはロスから惨状を聞きつけ、マクベスを討つことを決意する。マクベス夫人もまた心を病み、毎夜、夢遊病に取り憑かれて城の中を歩き回る。マクベスは自室で聞いた魔女たちの予言を信じ、イングランドが攻め寄せたとしても、森が攻めてこない限りは安泰であるし、女から生まれた者は自分を殺せないと確信する。しかし、イングランド軍は森の中に潜み、木枝を掲げて進軍してくる。その最中、マクベス夫人が亡くなったことを知らされる。居城にリチャード・ショート演じるシーワードがやってくるものの、マクベスは撃退する。だが、マクダフが現れ、マクベスと対峙することになるが、マクベスの最後の拠り所であった女から生まれた者は自分を殺せないという予言は、マクダフが女の腹から取り上げられたということをもって打ち砕かれる。かくて、王冠に固執しそれに手を伸ばした隙に、マクベスは切られることになるのだった。

 基本的にはシェイクスピアの『マクベス』に準拠しているように思われるのだが、まず目を引くのはモノクロームで撮影されたこの映像だろう。光線は計算されつくし(どうやらすべてスタジオ撮影であるらしく、そのためすべての光線がコントロールできることになる)、映し出されたコントラストは作品の抽象性を上げ、もともと普遍的な題材だと思われるのだが、さらに普遍的なものにしているだろう。それを可能にしているのがセットと衣装であることは疑いない。

 城を始めとして、ここがどこなのか、あるいはどういった時代なのかといったことを感じさせない抽象度の高い建築と、舞台を思わせるセットによってフィクションであることを意識させる。この虚構の中で、あえてモノクロ用に作成された衣装の醸し出す異質な空間が、例えば冒頭のキャスリン・ハンター演じる魔女の異様なフォルムを肯定することになり、作品の方向性を物語ることになる。この肉体の歪さが、ある意味でこの『マクベス』を位置づけるトーンなのだ。

 そしてデンゼル・ワシントンは野心溢れたばかりに心を失ったマクベスを好演し、フランシス・マクドマーンドはそのタイラントを唆す女性として熱演している。脇を固めるキャラクターたちも一種、異様な「顔」を持っており、特にそれはロスを演じたアレックス・ハッセルに顕著だっただろう。

 作品の選択は功を奏し、素材を丁寧に吟味した結果としてのこの『マクベス』であろうと思う。ところで同様の題材を扱った本邦の映画に『蜘蛛巣城』(1957年)があるが、これとの比較は好みの問題によるだろう。ちなみに私は後者が好みである。

 ところで、この差異は何によるのか、といったところなのだが、『蜘蛛巣城』は冒頭に「城跡」を提示することで、出来事に一つのパースペクティブを与えており、これはおそらく能からの影響によるものなのだろうが、これが『マクベス』の雰囲気に合っているように感じられる。マクベス役の武時を演じた三船敏郎の肉体に、デンゼル・ワシントンは肉薄していると思うのだが、三船の「野心」がデンゼル・ワシントンにはない。どちらかというとデンゼル・ワシントンは朽ちていく様をあらかじめ予感させている。これは端的に年齢によるものなのかもしれない。また、フランシス・マクドマーンドについては否定的ではないものの、山田五十鈴の浅芽と比べるといささか狂気が後退している。

 もちろん制作の意図は異なっており、ジョエル・コーエンの『マクベス』が原作に準拠しつつ、演劇的な空間を提示することであったのに対し、黒澤明の『蜘蛛巣城』は『マクベス』を戦国時代に移し替え、題材の普遍性の更新を狙ったものだと思っている。いずれも比類なき傑作である。

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