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『ア・ゴースト・ストーリー』(2017年)

A GHOST STORY / ア・ゴースト・ストーリー(字幕版)

A GHOST STORY / ア・ゴースト・ストーリー(字幕版)

  • 発売日: 2019/12/03
  • メディア: Prime Video
 

  デヴィッド・ロウリーの『ア・ゴースト・ストーリー』を観る。

 ケイシー・アフレック演じるCは、ルーニー・マーラ演じるMとともに夫婦として暮らしているのだが、ある日、Cは交通事故で死亡する。病院に訪れたMはCの喪失に戸惑う。しかしその後、Cはシーツを被った幽霊として記憶を失った状態でMのいた家に戻り、彼女を見守り、また彼女が去った後の家に、土地にい続ける。Cの幽霊はMが家を去る際に残したメモを見たくてたまらないが、実体を伴わないその霊体では、彼女が家の柱の奥に入れてペンキを塗ったそのメモを取ることができない。それを取るために彼は時間を一巡し、もう一度世界を繰り返してまでメモを見ようとし、実際見ることになった途端に消失する。

 蓮實重彦が『見るレッスン~映画史特別講義~ (光文社新書)』の中でやたら褒めちぎっていたのをきっかけに観ることにした本作で、蓮實はそこでデヴィッド・ロウリーの「ショット」の確かさについて褒めていたが、私はその点については同意するが、映画自体はそこまで好きではなかった。

 もちろん冒頭の夫婦におけるささやかな確執(家を巡る引越しを行うか否か)と、繰り返した歴史の中で幽霊が引き起こすポルターガイストの存在はうまいように感じられたし、その後の謎めいた予言を行う男の、不思議な存在感も印象には残った。

 他方で言えば、「ショット」の確実な積み重ねのみがこの映画の良さなのか、とも思うのである。私は映画といえば動き、シークエンスといった気がしており、例えばそれはカメラの揺れや複数のカメラによる「ショット」の連続の心地よさを好んでいる。例えばビートたけしが『ゴースト・イン・ザ・シェル』に出たときに、ただ歩くシーンだけれども多くのカメラを使って撮影されていた、といった感慨や、『シン・ゴジラ』における庵野秀明iPhoneをも導入して作り出した複数のカメラ(視点)、またスピルバーグの『タンタンの冒険』のように、現実のカメラでは捉えられないほどのアクションの連続といったものを前にしたときに、この「ショット」の確かさというのは現代にとっていかほどのものなのか、とも思うのである。