Outside

Something is better than nothing.

『カメラを止めるな!』(2018年)

 上田慎一郎の『カメラを止めるな!』を観る。

 ゾンビ映画の撮影中に、各々のキャストが濱津隆之演じる監督の日暮隆之による執拗なまでのこだわりに辟易しつつ、緊張を強いられる現場で演技をしていると、本来フィクションのそれであるはずのゾンビが登場し、キャストを次々に襲ってくるので、長屋和彰演じる主演男優の神谷和明と秋山ゆずき演じる主演女優の松本逢花、しゅはまはるみ演じる日暮晴美の三名は、その場から逃げようと悪戦苦闘する。ところが、その状況を監督がリアリティを追求するあまり、撮影を強行するために状況は複雑になっていき、さらに言えば、各々の怪演もあって、映画はどこへ行くのか分からなくなっていくのが、一応の完結を迎え、劇中作「ONE CUT OF THE DEAD」は終わる……かのように思えた。しかし実はこれには前日譚があり、元々はゾンビ専門チャンネルを作るということで、生中継かつワンカットという制約ありきで作られたテレビ映画だったのだった。さまざまな状況の制約を受けつつも、監督の日暮は調整に次ぐ調整、妥協に次ぐ妥協により映画の完成を目指していく。そして実際に映画が生中継でスタートしたときには、酒乱の俳優は指示通りに動かないし、軟水でないとお腹を壊す俳優は誤って硬水を飲んでしまい、早々に退場する、脚本通りに事が運ばない、機材が壊れるなどの障害が立ち塞がり、ほとんど生中継は頓挫するかに見えたが、あらゆる機転を利かせた結果としてなんとか形になっていき、映画は(劇中劇ではない方の)大団円を迎えることになるのだった。

 妥協など朝飯前だと言ったのは、トニー・スコットに対する蓮實重彦の評言だったが、ここで登場する監督役の日暮もまた妥協など朝飯前どころか、妥協しなければ仕事にならない「監督」というポジションを与えられており、さらに言えば、例えば『トロピック・サンダー』にあるような、「映画」の成立を果たす前の紆余曲折を監督の側から怒りをもって描くという楽しくもあり、最終的に観客に現前する映画としての成立が難しくもある題材を、見事に描き出した良作である。

 個人的に愁眉を開いたものとしては、秋山ゆずき演じる主演女優の松本逢花の存在で、彼女の絶叫(あるいは「絶叫」)と、階段を上るシーンにおけるお尻をひたすら映し出すアングルがあった。この劇中作におけるゾンビ映画としての本領というのは、この二つに端的に表れているといってもよい。加えて言えば、小屋に隠れて悲鳴を上げないように口を塞ぐシーンは秀逸だった。

 あらゆるシーンが二重以上の意味を持ち、その反復が常に新たな意味をもって我々の前に現れてくる。正直に言えば、当初、劇中作の方の作品は戸惑いをもって迎え入れたことは白状しなければならない。ただ、最終的には映し出される画面に、ただただ感心し、集中し続けることになった。

 こういった映画を観ることができるのは幸福なことであると思うし、低予算であっても工夫次第でここまで面白くできることは監督の力量だと思う。今後は低予算に拘ることなく、潤沢な予算のもと、新たなチャレンジを観ることが叶えば、一観客としては喜ばしいことこの上ない。