Outside

Something is better than nothing.

夢の橋

bridge

 瀬戸内海の穏やかさは、今思うと少し何もなさすぎるような気が無責任にもする、という書き出しで私は今朝方夢を見たことの、その続きとして、あの海の穏やかさを想起したのだが、夢の中で私は尾道大橋を自転車で通行しようとしていてーーそれ自体は頻繁にあるとは言わないにしても、ままあることなのだがーー友人と一緒に料金所に差し掛かろうとしていた。料金所というのは、詳しいことは知らないが、とにかく今はもうない、尾道大橋が造られたときにその建設費用を日々そこを通る市民の懐から賄おうとするもので、ほとんど通行税のような機能を果たしていたのではないかと思うのだが、私が地元を出てしばらくすると、ようやく積年の費用を充当し終えたのか役目を終えることになった場所のことで、私が自転車をわざわざ漕いで橋を通っていたその当時というのは、十円、たった十円ではあるが、通行にあたってお金を支払わなければならなかった。けれどもその料金所というのは、自動車とは異なり、立ち会うべき監視員というか徴収人というか、とにかく人がおらず、無機質なアルミ製の箱がぽつねんと置かれており、人々の善意によって成り立っているような馬鹿げたもので、もちろん真面目の前にあまりよろしくない言葉がつくような人種でなければ、ほとんど払うことはなかったのかもしれないし、小狡さを身につけた子供たちは人々の注意を引かぬようにそこで十円を払ったふりをして通行していた。私は夢の中でまさにその多くの技巧が凝らされることになった料金所を通ろうとしており、友人はいつの間にか遠くで手招きし、向島側の、少し先に行ったコンクリート屏とその上に生い茂った茂み、そして信号の辺りで角を曲がろうとしており、私はなぜだか置いていかれるような、そんな焦燥感を抱いていたのだが、そのときに限って私の懐には十円がなく、つまり通行税を払うための、あの些細な銅貨がなかったがために、未だかつてその場所で抱いたことのない道徳的な躊躇いが生じ、私は自転車を止めてしまった。心なしか、友人は失望したように見えた。そして友人は角を曲がって見えなくなり、私は途方に暮れてその場に佇んでいた。