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Outside

Something is better than nothing.

冷たさの中でゆっくり歩く

生活

 余裕がない時期に来てしまった。それは財布の事情であるかもしれないし、師走という一年の忙しさの頂点となる時期だからなのかもしれない。
 私はどこにも行くことができず、ただ家と職場を往復していた。精神的な余裕がない、と実感していた。ふと顔を上げて、景色を見る余裕。あるいは、もっと簡潔に話すときに相手の目を見てコミュニケーションを取る余裕。
 いつからか、しかし遠くはない最近、人の目を見ることが怖くなった。そこに宿る不寛容の色が、私に不信を覚えさせた。理性がそれを押しとどめ、一度は伏せた視線を上げる。そこに晴れやかな笑みが待っていることもあれば、中年期の男性にありがちな、くたくたに疲れ切って表情を忘れた顔があったりもした。
 他者とは実に奇妙なものである。まったく理解できない。排斥されたかと思いきや、他方では暖かみをもって迎えられる。暖かみを期待してしまって、まったく正反対の冷たさに遮断されることもある。分からないからこその他者、ということなのだろうけれども、この冷たい季節の最中、精神的な余裕をなくしつつある今、ただひたすらに戸惑うばかりだった。
 余裕がないときは、早く歩いているものだ。一刻も早く、辿り着くために。ただ、その辿り着いた先に、安らぎが待っていることは稀だ。だったら、初めから早く歩く必要はないじゃないか、と思った。人混みをかき分けるように歩いたところで、どのみち時間しか変わらない。
 神は人間に仕事を与え、それをこなす義務を課したが、その仕事を早くこなすかどうかは人間の自由に委ねた、という話を以前に聞いたことがある。だとすれば、ゴールに向かって目一杯ゆっくり歩くことは、私自身の紛れもない自由なのだ。
 シーシュポス的な労働の中にしか私たちの自由が顕現しないとすれば、できるだけ遅くやってやろうと思うのもまた人間の業である。