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Something is better than nothing.

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』(2021年)

  庵野秀明の『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を観る。

 大きく四つに分かれた構成と思われ、まずパリでの戦闘、その後第3村に移動して人間性を取り戻し、ヴンダーに移動して最後の決戦に向けた準備と決戦、マイナス宇宙での戦い、とあり、一応の終劇となる。

 前作の劇場公開時に相当に微妙な作品だと思いつつ、年月が経って何度か見直していくうちに興味深いところも見えたのだが、本作についてもまず最初の感想としては結構微妙なものを観たな、という感想があって、もちろんテレビシリーズから続いたこの作品が、一つの終劇に向けて大団円を迎える感動はあるにはあるのだが(ある人には)、素材の持つ可能性というものを引き出し切れたのか、という疑問も残る。

 とりわけマイナス宇宙での戦いについては、もちろん作中における説明にも留保しつつ、しかしこの作品の外側にある最も外側にある形式は映像作品、映画であるはずで、その際にこの素材の選択は正しかったのか、という気もする。『インターステラー』はまだ観れた、と思うのだけれども、ただこれは素材の持つ物語のベクトルのようなものが映画として可能なものだった、ということであり、この場合のエヴァンゲリオンというものにそれが可能だったのか。

 正確なところについて私は判断する基準のようなものを持ち得ていないのだが、多くの疑問符とともに、やはり素材の持つ可能性についての吟味、あるいはその素材の選択(表現したかったものと表現されたもの)の不整合のようなものをまざまざと見せつけられたような気もするし、その不整合を作家性によって半ば強引に作品に仕立て上げてしまうのだ、というのが物語る力のような気もしてならない。

 つまるところ、この作品の完成自体は喜ばしいとは思うのだが、この作品の個人的なものがあまりに社会化されてしまって、評価が難しいような気がする。宮崎駿の持つ作家性と思想性との(時に起こる)矛盾とはまた異なるというのが直観であるのだが、あまり深く考えてはいない。