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Something is better than nothing.

『ジョーカー』(2019年)

ジョーカー(字幕版)

ジョーカー(字幕版)

  • 発売日: 2019/12/06
  • メディア: Prime Video
 

 トッド・フィリップスの『ジョーカー』を観る。

 ゴッサムシティで暮らすホアキン・フェニックス演じるアーサーは、精神的な病に侵されつつも、フランセス・コンロイ演じる母親ペニーと暮らしている。彼は人を笑わせたいという目標を持っており、コメディアンを目指しているが、自分の意思に関係なく笑い続けてしまうため周囲からはなかなか理解されない。ある日、仕事で広告のための看板を持っていたところ悪ガキどもに攻撃されたことをきっかけに、グレン・フレシュラー演じる同僚のランドルが拳銃を渡したことで状況が変わっていく。ザジー・ビーツ演じる同じアパートに住むシングルマザーのソフィーとの恋愛妄想が止まらず、またロバート・デ・ニーロ演じる人気司会者マレーの番組に出る妄想が進んでいく。誤って小児病棟でのパフォーマンス中に拳銃を落としてしまったことから仕事はクビになり、その帰り道に地下鉄で酔漢に絡まれた挙句に三人とも射殺してしまったことからアーサーは狂い始める。ペニーの手紙からブレット・カレン演じるトーマス・ウェインの隠し子である可能性が出てきて、彼女の言を信じてウェイン家に行くものの、ダンテ・ペレイラ=オルソン演じるブルースとの邂逅を果たすものの、執事のダグラス・ホッジ演じるアルフレッドに阻まれて心ない言葉を吐かれる。母親は脳卒中で倒れるが、以前にコメディを披露した様子がマレーの番組で話題になり、ジョーカーとあだ名された彼は番組出演のオファーを受ける。街中でアーサーの犯罪をきっかけに富裕層への反発が起きる中、チャリティーの会場に乗り込んだアーサーはトーマスに邂逅し、自分の父親ではないかと詰め寄るが、彼女にも妄想癖があるということを冷たくつげ、殴りつける。その後、病院でブライアン・タイリー・ヘンリー演じる事務員カールの一瞬の隙を捉えて母親のカルテを盗み出したアーサーは自分が養子であること、母親に愛されていなかったこと(虐待を受けていたこと)を知る。マレーの番組出演のため、自宅でピエロの扮装をしている最中に、ランドルとリー・ギル演じるゲイリーが訪れ、彼はかつての怒りからランドルを殺害するも、ゲイリーはそのまま逃がす。番組出演したアーサーは、かつてマレーが呼んだようにジョーカーとして出演することを依頼し、そしてその番組出演中にマレーを射殺する。彼の意図はアーサーを笑い物にすることだったからだ。その罪で警官に移送されている途中、街で起こった暴動に巻き込まれ、彼はパトカーから抜け出すことになる。そして皆が見つめるその場所で踊るのだった。そしてたまたま劇場に来ていたウェイン家は暴動に巻き込まれてしまい、裏道から逃げようとしたが、暴徒に襲われてブルースだけ生き残ることになる。場面が変わり、病室にジョーカーがいる。ジョークを思いついたと言うジョーカーに対し、カウンセラーはそれを言うように頼む。しかし、彼は理解できないだろうと延べ、その後、血の足跡を床に残しながら逃げ回るのだった。

 不安な要素が画面に塗りたくられてずっと観ているので、今か今かとまるでホラーを観ているような、そんな印象を受けるものだった。物事は一つも良くならないし、永遠に悪化し続けるのだ、というような、そういった暗い予感に苛まれ、出口のない妄想に囚われるような、あの不眠の夜。そういう印象を受ける。青みがかった画面に灯される光の、なんと頼りないことか。

 音楽は取り留めのない印象を与え続け、露悪的な気もする1980年代の時代設定が時代の心理的な同定を難しくするような気もするのだが、紛れもなく現代の話であって、おそらく現代ならばジョーカーはYouTubeなどのインフルエンサーとしての役割だったのだろうと思う。

 また、テロリズムについても同様であって、この暴動やテロにおいては爆発物は使われておらず、要するにこのご時世におけるテロというのは(あの自宅において殺されたランドルの受難と同様に)ハサミ一本でも可能であるのだし、たかだか拳銃一丁だけでも可能である、ということであろう。

 この逃げ場のない貧困の、少しずつ追い詰められていく様は観ていて嫌なもので、嫌味のようなチャリティー会場での『モダンタイムス』が苛立ちを募らせる。地味な描写だが、トイレの場面でアーサーが突っ立っているのに、身支度に夢中で存在に意識を払わない紳士の存在が、明確に階級差(一方にとって他方は「存在しない者」)を描いている。