Outside

Something is better than nothing.

『イントゥ・ザ・ストーム』(2014年)

 スティーヴン・クォーレの『イントゥ・ザ・ストーム』を観る。

 ストームチェイサーのチーム「タイタス」のメンバーは、巨大な竜巻を追い求め、サラ・ウェイン・キャリーズ演じる気象学者アリソンの予測に従って、竜巻を追いかけるが、なかなか思うように事が進まない。そのため、マット・ウォルシュ演じるピートは苛立ち、資金が底を尽きかけている。また、時を同じくしてリチャード・アーミティッジ演じる高校の教頭ゲイリー・フラーは、妻を亡くしたため二人の息子との接点をなくしつつも、迫り来る卒業式に向けて動かなければならない。また、その息子は思春期であり、たまたま思いを寄せる女の子が困っているのを助けるために一緒に調査に出る。最初は一般的な竜巻だったものが次第に超巨大な竜巻をなって猛威を振るうので、町中が壊滅状態になり、卒業式後に学校に避難した子供たちも危ういし、下心のもとでデートと思いたい調査に出かけた息子も女の子とともに生命の危険に晒される。ところが他方で、ストームチェイサーの連中はこの状態を待ち望み、また有象無象の底辺YouTuberもまたスマートフォン片手に竜巻を追いかけていく。

 この映画はまずディザスター映画、という位置づけがなされるであろうと思う。と同時に、ディザスター映画としての立ち位置をきっちりと維持しながら、内実はといえば、例えばロメロが『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』でかなり不器用な手つきではあるものの、ゾンビと(批評的な意味における)映像とを結びつけて撮ったのと同様に、竜巻と批評的な意味における映像を結びつけることとなった。だからといってこの映画が傑作かと言われれば、少し首をひねってしまうのだけれども、遠い朧げな記憶の中で『ツイスター』を観たときの興奮に近いものはあるにはあった。結構、それなりに楽しめる映画なのである。

 ところが、同時に底辺YouTuberにおけるエンゲージメント稼ぎのための狂乱を前にしなければならないという映画でもあり、よくよく考えるまでもなく、高校パートではカメラが手持ちで、それは随所に見受けられるし、カメラを通した映像の「主体」が常に意識されることになる。

 凄く雑な言い方であることを承知で言えば、創意が邪魔をしている。だが、出来上がったもののバランスはといえば、ここで言うほど邪魔ではない。ある意味でセンスなんだろうと思うのだけれども、なんだか妙な映画ではあった。面白かったんだけど。