Outside

Something is better than nothing.

『イット・フォローズ』(2014年)

  デヴィッド・ロバート・ミッチェルの『イット・フォローズ』を観る。

 冒頭、女の子が家から出てきて、周囲の人々が何かから逃げている彼女に声をかけている。けれども、彼女を追いかける者はいない。問いかけに彼女は大丈夫としか答えず、父親にも心配されるが、彼女はそのまま家の中に戻り、車の鍵を取ったかと思うと、そのまま夜の浜辺へ逃げていく。彼女は何かに怯えており、まるで死ぬ間際かのように電話で父親に今までありがとうと伝える。彼女の視線は乗ってきた車に固定され、何かが近づいてくるようにも見えるのだが、実際は訪れていない。しかし、その直後に画面が変わり、朝の浜辺が映り、あられもない姿で死ぬ彼女の姿が映し出される。場面が変わる。マイカ・モンロー演じるジェイに焦点が当てられる。彼女は恋人のヒューとデートを重ね、ようやく二人は肉体関係を持つ。その後、くつろいでいるところ、ヒューがとつぜん彼女にクロロフォルムを嗅がせて気を失わせる。次に目覚めたとき、彼女は動けないよう椅子に固定されている。ヒューが彼女に、彼の体験している状態について説明する。「それ」はひたすら歩いて追いかけてくる。さまざまな姿を取って。誰かに移すには肉体関係を持つしかない。そして、移した相手が死ねば、一つ前の人物に「それ」は戻ってくる。彼女は理解できないが、目の前に「それ」が現れ、実際に追いかけてくる……。

 最後まで説明はされない「それ」だが、「それ」にはどうやら実体があり、物を投げたりすると当たるし、逆にドアなどで進路を阻めばこじ開けようとするし、銃で撃ち抜けばいったんは倒れる。けれども、すぐに起き上がって追跡を再開するので、彼らはどうすることもできない。ただ今いる場所をひたすらに移動し続け、「それ」から逃れるしか方法はない。あるいは、誰かに移すか。

 状況は非常に端的で分かりやすく、「それ」の意味不明さが最後まで興味を抱かせる。「それ」は場面によってさまざまな姿を取るが、巨人(背が高い)のときに部屋のドアをするっと抜けてくるときの恐怖感はたまらず、相当に不気味である。

 各所で言われていることだが、謎の電子書籍端末があったり、なぜかモノクロ映画をブラウン管で視聴していたり、かと思えば携帯電話を使っていたりするので、時代背景がやや不透明で、何より「大人」の姿がほとんど描かれない。

 母親はワインを飲んでいるシーンがあるが顔は見えないし、父親についてはジェイの鏡に貼った写真の中に描かれているが、後に「それ」の姿を借りて、ジェイに家電を投げつける。世界観自体がすでによく分からないところに落ち込んでいるといえばそうである。

 肉体関係を持つと感染する、というところで、セックスに対するネガティブなアプローチなのかとまず思った。「それ」が感染者を殺すときの方法が、ちらっと描かれた限りではセックスだったというところもある。性病のメタファーとしてあるのか、というところなのだが、気になるところは感染させると、姿は見えるが「それ」は感染相手を追跡するようになり、その相手が死亡するとまた自分に戻ってくる、というところが無限後退になるわけである。

 では最初の感染者は誰なのか、と考えると、これはまあ人類の始祖になるわけであり、結局は死のメタファーであるのだろうというところに落ち着くような気もするのだが、ホラーである以上、明確な理由づけは野暮でもある。

 結末については、ジェイが(ずっとジェイのことが好きだったけど、他の幼なじみに取られたりしてなかなか結ばれなかった)幼なじみの男の子と肉体関係を持ち、「それ」が追いかけてくる中で手を繋いで歩いていく、というものなのだが、ここもまた不気味。