無窮の歴史
中世という言葉を聞いたときに、直接見たわけではないのだけれども『少女革命ウテナ』の「甦れ!無窮の歴史『中世』よ」だったか、この曲について知り合いの誰かが言っていた。
「中世を何だと思っているんだろう」
歌詞をカラオケでぼんやり眺めながら、「中世!」「暗黒!」「中世!」「暗黒!」みたいなイメージが広がっていったわけだけれども、中世という言葉には何か惹かれるものがある。
網野善彦を読んでいると、日本の中世期にあった自由というかフリーダムさとでも言った方がいいようなものを、遠い過去だからこそ楽しく思いながら想像を膨らましている。
また、高野秀行・清水克行の『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(集英社、2015年)を読むと、ここで語られているソマリランドと室町時代の近似性について興味深く思うわけである。
ちなみにこの記事は面白かったので、紹介しておく。
中世という怪しいもの
どこかの記事で日本の中世を扱う際の難しさについて触れられていたので、特に学問的に扱いたいわけではない中世なのだが、単に散文的に想像を膨らませていく限りだと楽しいわけで、私はたまに中世についての本を読みたくなって、図書館で借りたり本屋で買ったりしているわけだが、先日、本郷恵子の『怪しいものたちの中世』を読んだ。
ここで本郷の分類では、中世とは以下のような社会であるらしい。
日本の中世は、圧倒的に管理されていない社会である。強い者にとっては自由度の高さが嬉しいだろうが、弱い者は支援や保護を受けることができず、捨て置かれたまま顧みられない。自由と悲惨は表裏の関係にあり、強者もいつなんどき弱者に転落するかわからない。
(本郷恵子『怪しいものたちの中世』角川選書、2015年、7頁、太字は引用者)
私は、この本の中で、以下の説話がかなり面白かった。少し長いが、引用する。
後鳥羽院の治世のころ、伊予国のある島に天竺の冠者という者がいた。島内の山の頂に家を作って住み、その傍らに祠を構えていた。(…)
この天竺冠者は、空を飛び、水の上を走ることができるという評判で、伊予国内のみならず、隣国からも参拝者が集まってきた。(…)
参詣の人々のなかには目がみえない者、腰が立たない者などがいる。彼らは天竺冠者に財物を与えて、さまざまな不調を訴える。天竺冠者はおもむろに馬から降りて、神のお告げを語り、痛む腰を足で踏んだり、見えない目を撫でたりする。すると、いずれもたちまちに治ってしまう。このような次第なので、ますます多くの人が集まることとなった。誰もがありがたがって、着ている衣装を脱ぎ、さしている太刀を抜いて捧げるので、天竺冠者のもとにはおびただしい財物が積み上げられるのであった。
そのうちに冠者は「われは親王である」と称するようになった。鳥居を建てて、「親王宮」と書いた額を掲げたのである。
この噂が後鳥羽院の耳にはいり、捕縛の命令が下った。院は神泉苑にお出ましになり、天竺冠者を召し出した。「お前は神通力があって、空を飛び、水の上を走ることができるそうだな。それならこの池の上を走って見ろ」と、池に浸けてみたが、何かできそうな様子はない。(…)とにかくさんざんにいたぶったあげく、投獄することに定めたのである。
この天竺冠者は、もともと伊予国の出身で、名高いベテランの博打うちであった。博打を打ち呆けてなにもかも失い、仲間の博打たち八十余人を動員して、各地に送りこみ、天竺冠者の霊験あらかたなことを触れまわらせたのだが、都にまで噂がとどき、このように痛めつけられる結果になったのだった。
(同前、17-19頁)
この説話は『古今著聞集』 の巻十二「博奕」によるものらしく、本郷によると「瀬戸内海の島を舞台に、霊験あらかたな教祖をよそおって善男善女を騙していた男が、都に連行され、化けの皮をはがされるという話」(同前、19頁)で、つまりこの「天竺冠者」はばくち打ちという出自なのであった。
そういう「怪しいものたち」のひとりが、しまいには「親王」を名乗り、やがて後鳥羽上皇に成敗されるわけなのだが、個人的にこの瀬戸内の島々を舞台にというところが妙に気にかかったのだった。
キリシタン
登場は時代を下ることになるのだが、やがてキリシタンが現れたときに、この設定はうまく使えないだろうか。
瀬戸内の島々において、(隠れ)キリシタンがひっそりと住んでいる。
そこへ都でばくちを打っていた「怪しいもの」がやってくる。借金にまみれ、都に住むことができなくなったためだ。
けれども、ばくち打ちは出自が明確でないことを悪用し、「神のお告げ」を騙り、教祖として振るまい始める。
狭い村社会のなかで、やがて彼は教祖としての立場をより強固にするために、「魔女狩り」を始める。教祖について懐疑的なものや教祖の意に反するものを、神の教えを守らない悪魔に憑かれたと断定し、私刑を行うようになる。
やがて「神の子」を名乗り始めたばくち打ちこと教祖は、周辺の島々を手中に収め始める。初めは慎重に行っていた「伝道」も、私刑の激しさ、そのことによる教祖への権力集中をきっかけに自信をつけ、「伝道」は派手になっていく。
キリシタンへの寛容は次第に時の権力者の変遷のため、弾圧という方向性に移り変わり始める。都から現状を把握するための役人(間諜)が派遣され、島民たちは不安に包まれる。
しかし瀬戸内の狭い島のなかで、教祖の目を逃れることはできない。島民たちは内にも外にも迫害の危機を感じ始める……。
とまあ、こんな感じで考えているわけなのだが、もう少し背景は練らねばならない。