Outside

Something is better than nothing.

『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017年)

シェイプ・オブ・ウォーター (竹書房文庫)

シェイプ・オブ・ウォーター (竹書房文庫)

 

 ギレルモ・デル・トロの『シェイプ・オブ・ウォーター』を観る。

 サリー・ホーキンス演じるイライザは障碍者であり、子供の頃に声帯を傷つけられたため話すことができない。ゲイの芸術家であるリチャード・ジェンキンス演じるジャイルズが、彼女の友人としている。彼女は孤独な生活を送っており、ルーティンをこなしながら政府の研究施設で清掃婦として働いている。オクタヴィア・スペンサー演じるゼルダが友人として彼女の傍を離れない。ある日、マイケル・シャノン演じるストリックランドが物々しく登場し、ダグ・ジョーンズ演じる半魚人のような謎めいた生き物を研究施設で管理することになる。その異形の姿や凶暴性に最初イライザは恐れを抱くものの、次第に興味を持つようになり、ゆで卵をあげたことでコミュニケーションが可能だと気づいて、彼女と半魚人との不思議な交友関係が始まる。折しもソ連との間で宇宙開発競争が過熱している頃の時代であり、この謎めいた生き物はどうやら宇宙空間での利用が検討されているらしい、ということが示唆され、その周辺にはソ連のスパイがすでに忍び込んでいる。マイケル・スタールバーグ演じるロバート・ホフステトラー博士は研究者としてその施設で働いているものの、その内実はソ連側の人間でもあった。不服従の生き物の解剖を主張するストリックランドは、博士との争いに勝つものの、その頃すっかり生き物と仲良くなっていたイライザは彼の孤独と自分自身との境遇に深いシンパシーを感じ、生き物を逃がすことを画策する。ジャイルズに依頼をするものの、ジャイルズは以前の上司の元に自分の作品を見せに行くのに忙しいが、無碍に仕事を断られた挙げ句、足繁く大して美味しくもないのに好きな男がいることで通っていたパイ屋で、それとなく思いを仄めかすと拒絶され、その腹いせというわけではないにしてもイライザを手伝うことになる。イライザは休憩中に裏口にてゼルダたちが監視カメラを動かして煙草を吸っていることにヒントを得て、監視カメラをずらし、生き物を搬出しようと試みる。博士はソ連側から手に入れられないのであれば解剖の成果が出る前に生き物を殺してしまえという指令を受け、現場に赴くものの、イライザが生き物を盗み出そうとしているところを見て、手を貸すのだった。ゼルダもまた帰り道に現れないイライザを心配して、探し回った挙げ句にイライザを手伝う羽目になる。唯一の障害として立ち現れた警備兵を博士がソ連製の薬物で殺害した後、イライザは自宅のアパートメントに彼を連れて行き、博士に教わった通りの塩分濃度等で彼を匿う。そしてやがて訪れる大雨の日に備えるのだった。猫を噛み殺し、アパートメント階下の映画館に逃げ込むというアクシデントはあったものの、警備の責任者であるストリックランドの目をかいくぐり、まったく尻尾を掴ませないまま自宅に彼を匿うことに成功したイライザは、募る思いに身を任せ、彼とさらに親密になっていく。初めて心を通わせることができたイライザは、やがて来る別離に複雑な思いを抱きつつも、衰弱していく彼を解き放つより他はない。一方、まったく尻尾を掴めないストリックランドは、彼に噛まれたことで失った指が術後思わしくなく、壊死していくのと並行して、上司であるニック・サーシー演じるホイト将軍に突き放されたこともあって、必死の捜索活動を行い、当然のように反目していた博士に着目し、彼を執拗に追跡する。他方で博士もまたソ連側の方で指示に従わなかったことが漏れ出たのか、不穏な空気が流れ始める。しかしながら大雨の当日に至るまで事態は膠着状態を続ける。その日、ストリックランドは怪しげな行動をする博士を追跡し、彼がソ連と通じ、ロシア語を喋っていること、そしてまさに消されようとしている瞬間を目撃し、加勢する。とはいえ、ストリックランドは博士を助けるのではなく、死にゆく博士にあの生き物の居場所を吐かせたいだけであり、死にゆく博士は掃除婦が彼を持ち去ったのだと嘲笑しながら死んでいく。ストリックランドはゼルダの元に急行し、生き物の居場所を聞いた後、彼がイライザの元にあることを知る。ゼルダはイライザに電話をかけ、ストリックランドが迫っていることを告げる。イライザとジャイルズは衰弱する彼を伴って、逃がすための算段をつけるが、ストリックランドが追いついてしまい、イライザもろとも銃撃してしまう。並外れた生命力を持っていた彼は、一度は倒れたものの、ストリックランドを撃退し、ジャイルズに別れを告げた後、イライザとともに水の中に消えていく。そこで彼は神秘的な再生能力をもってしてイライザの傷を癒やした後、子供のときにつけられた声帯を失ったときの傷にある処置を施す。その三本線の傷は、まるでエラのような働きを持つようになり、彼女は水の中で呼吸が可能になる。彼とイライザは水の中で、愛し合うことがジャイルズの口を借りて伝えられるのであった。

  デルトロの作品の中では私はもっとも気に入った映画となった。とはいえ、あまり観ていないのだけれども。

 半魚人のような造形性は非常に優れたデザインで、観ていてだんだんと違和感を覚えなくなっていった。

 それはともかくとしてキャラクターの配置が面白く、かなり機能的に配置されていることは確かだろうと思う。イライザはともかくとして、ストリックランドや博士、もちろんジャイルズやゼルダも含めて、ストーリーの明確化とともにキャラクターの配置の機能性が重視され、結果としてストーリーに対して無駄のない(ややご都合主義になりかねない気もするが)ものとなっている。

 ストリックランドのキャラクターの造形については秀逸で、半魚人よりもむしろこちらの方が印象に残るのではないか。家の中には子供がふたりおり、ブロンドの美人の妻がいるものの、彼の性癖はイライザのように性行為中に沈黙する女の喘ぎであるようで、その割には妻との性交渉は正常位を保っている。イーストウッドの『許されざる者』の中で傾いた家の中に延々と雨漏りが続くシーンがあったかと思うのだけれども、その家主は保安官でその町の正義を象徴する人物だったのだが、ああいうねじれ方、をしていると思う。だからこの奇妙に魅力的なキャラクターは、おそらく本質的にストーリーには奥行きが不要だったかもしれないのだが、新車を買うのだし妻との性交渉も描かれるのだし、イライザにちょっかいも出し始めるし、モノを触らず小用を足すのである。

 ジャイルズのセクシャリティについては、観ているときには全然思い当たらなかったのだけれども、観終えた後に気づいたくらいだった。ちょっと私が鈍すぎたとは思う。

 ゼルダの造形については、まさか最終的に夫が出てくるとは思わず、彼女と夫のディスコミュニケーションは見事にイライザとの関係性の裏返しになっており、同時に男と女、女と女の関係性をさりげなく基礎的に表しているように思われる。

 各種デザインについては申し分ないのだが、やはりキャラクターの配置や造形について個人的には唸った作品で、話としてはコンパクトなのだが、しっかりとした奥行きが作られていると思う。イライザを演じたサリー・ホーキンスの演技がまた素晴らしく、冒頭から露わになるイライザの性を含んだ生活についての描写もまた真に迫っていた。

 随所に現れる映画やテレビ等のメディアの扱い方や、もちろん半魚人もそうなのだが、そのメタファー(これを言い出すとつまらないのだけれども)について、かなり個人的なものを含んでいるのではないかとは思う。とはいえ、私は冒頭の水没シーンから、目が離せなかった。素晴らしい作品だと思う。