前書き
オーデンの「見る前に跳べ」について、以前から知っていたというわけではなく、なんとなくその詩のタイトルだけを例えば大江健三郎の作品名から知っていたりする程度で、一体誰のものなのか、そもそも詩だということすら知らなかったのだが、あるときにこの詩を贈られたことがある。
それは今の妻に当たる人から贈られたもので、彼女は私を励ますためにこれを贈ってくれたのだった。これは素敵な計らいだ、と思った私は、いつかまた別の機会に、こういったことができないか、と思っていた。
彼女が私に贈ったこの詩は、正確にはある本の中に記されていたものだったのだが、私はこの詩だけを抽出して、さらには原文から訳してみて贈ってみたい、と思ったのだった。
かくして翻訳を行った。先行訳を参照しながら、いくつか試行錯誤してみたのだが、なかなかうまくいかない。元より大して語学ができないのだから、ということもあるのだけれども、それでも最終的には下記に記す程度にまでなった。
この詩を贈ったのは後輩で、私が異動するときに後輩が仕事に悩んでいたので贈った。
詩
「見る前に跳べ」ウィスタン・ヒュー・オーデン
危機の感覚を失ってはならない
ここからは緩やかに見えるとしても
行く道はたしかに短く険しいのだ
見ていたいなら見るがいい だが君は跳ばねばならない頑固な者も夢の中では感傷にひたり
どんな馬鹿でも守るルールを破ってしまう
しきたりではなく恐怖こそが
失われていってしまうものなのだ多くの雑用や無価値なもの 曖昧なことや酒の力
それら労のみ多き徒労で いつも
気の利いた批評くらいは生み出せるだろう
笑いたければ笑うがいい だが君は跳ばねばならないその場に見合った衣服とは
洒落ていないばかりか安くもない
羊のように臆病に生きる限り
どうでもいい連中に遠慮している限り機転の利く社交術を褒められているけれど
誰もいない孤独を歓迎することは
涙するよりも難しいものである
誰も見ていない だが君は跳ばねばならない一万メートルもある深海の孤独は
私たちが横たわるベッドを支える
私は君を想うけれども 君は跳ばねばならない
私たちの安逸の夢は消えてゆかねばならない
後書き
実際どう思ったのかは分からないけれども、後輩はそれなりに神妙な様子でこの詩を受け取ってくれて、私としては満足したのだが、そもそも詩にしてもプレゼントにしてもある程度まではそういう自己満足の要素があるのだから仕方ない。私がその後輩に贈りたかったから贈ったまでである。
かくして仕事に悩んでいたその後輩は、半年後に会社を辞めた。