Outside

Something is better than nothing.

一合炊きの感覚

Rice Cooker

 一人暮らしを始めたときに、当然というような必要に駆られて私は炊飯器を買ったのだけれども、それは最大で三合程度まで炊くことができる代物で、その最大量は「も」がつくべきなのか、「しか」がつくべきなのか、私には判断がつかないのだけれども、初めての一人暮らし、一人でご飯を炊き、一人でそれを食べるということについて、私はそれなりの愉悦に浸っていた。

 愛用している、といっても、次第に不精者ゆえにご飯を炊く頻度は減っていき、例えば松屋などのファーストフード店に米を食べる機会は譲っていくことになったのだったが、それでも時折、気が向いたときには米を炊いた。

 大抵は二合炊いて、心ゆくまで米を食しては、残りを冷凍庫にしまっていたことになる。凍った米をレンジで温め直すと、妙にぱさぱさすることが多かったので、あまり好きではなかったのだけれども――それは私の米を炊くときの水加減の問題が多分に関連していることは承知している。

 備蓄が底をついたとき、私は米を一合で炊いた。あるいは、どうしても二合以上の米を炊きたくないとき、私は一合だけ米を炊いた。一人暮らしの最初期こそ、炊飯器は適切な炊飯を行ってくれていたが、安物の機械だったがゆえ、だんだんと米が適切に炊けなくなってきて、一度などほとんどおかゆとしか思えない状態の代物ができあがってしまった――水加減は適切だったにもかかわらず!

 それは決まって一合炊きのときに起こるのだった。二合か三合のときは、その不適切な炊飯は引き越されず、どうしてたか一合のときだけ引き起こされる。感覚的に二合以上でご飯を炊いたときの方が美味しいようだったから、炊飯器というものはそういう機械なのだと納得しようとしても、どうしても一合だけご飯を炊きたい瞬間というものはあるのだった(鍋で米を炊いたこともあったけれども、洗うのが面倒で止めてしまった)。

 先日、備蓄米が底をついたことをきっかけに、かなり久しぶりに一合だけ米を炊いた。今では家族がいるのだから、一合だけお米を炊くということはあまりないと思いつつ、私は米をとぎ、炊飯器にセットした。つい先日、糸こんにゃくご飯を作ろうとして失敗したことを、スイッチを押す瞬間に思い出しながら。

 今使っている炊飯器は結婚したときに母からプレゼントされたもので、携帯電話会社の貯まりに貯まったポイントをすべて使って、それなりに高級なものを贈ってくれた。

 果たして、その炊飯器で炊いた一合の米は――やはり、あまり美味しくはないようだった。