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親戚付き合いの位置

 

Jomsom-807

 法事ということだったので、法事を終えたあとに宴会となった。以前はそういった「親戚付き合い」が煩わしいとは思っていたものの、一年に一度あるかないかの付き合いであるのだから、そこまでの煩わしさも感じられないようになった。

 もともと私は父方との親戚付き合いはあまりなく、子供の頃から母方の親戚との付き合いが多かったように思う。母自体が父方の親戚を好んでいないようだったし、私もそれを悟って、どこか軸足を母方の方に移していたようにも思う。

 母方の親戚というのは、親戚というものがそうであるように、バリエーションに富んでおり、さまざまな価値観の集うところであった。私は母方の家系(というほどのものではないが)を「血が濃い」と感じているのだが、母に訊いた話によると、昔は借金などでかなり苦労したため、親戚同士で何かと助け合い、そのために結びつきが強いのだそうである。

 そういった事情は私は知らなかったのだが、言われてみれば確かに子供の頃から何かにつけて集まっていた。父方の親戚は、広島にいなかったりする事情もあり集まる頻度は少なかったのだが、母方の親戚は近くにいたことに加えて、どこか多様性を受け入れる土壌があったように感じられる。

 私の伯母――という関係性なのか正確には分からないのだが便宜的に伯母とする――は芸術家肌で、聞いたところによると芸大を中退したとかそういう話であり、それはともかくとしても非常に考え方が「田舎」っぽくない。

 今回の旅で、その伯母のところに泊まったこともあって、いろいろと話していたのだが、伯母は物事の真髄を気にするタイプで、良きにつけ悪しきにつけ、話がシリアスな方面に飛びがちである。いわゆる空気の読めないタイプの話の仕方なのだが、けれどもその伯母は母方の親戚の中で尊敬されるポジションを得ていて、面白い。

 親戚付き合いのステレオタイプでは、そういった人間は、あるいはアーティスティックな発想は退けられるように思われるのだが、「伯母は伯母」というスタンスが許されている。迎合する必要もないし、退ける必要もなく、当人が当人として振る舞って、その上で当人としての人間性も認められる余地がある。

 萎縮、というものがないように感じられる。伯父の奥さんは、母方の親戚の外からやってきた方だが、今ではその奥さんが母方の親戚を束ねているような感覚もあり、その奥さんがいるからみんな集っているという気配すらある。その方も乳がんになって闘病生活が大変だったらしいのだが、それをネタにしてみんなの笑いを取ったりもする(そのときに旦那さんに作ってもらったカツラをみんなで被った)。

 私もそういう親戚付き合いの中では、ある一定のポジションを与えられており、そこまで親しいわけでもないのだけれども、子供の頃から知られているから変に気を遣うことなく、酒を飲んでわいわいとやっていられる気楽さがあり、さまざまな現状についても相談することができる。

 もちろんずっとそこにいれば、いるだけの苦労というものもあることは織り込み済みで、非常に適切な距離感というものが保たれているように感じるのだった。

 

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