根無し草にとって地元とは
先日まで地元に帰っていた。
ここ数年、両親が実家を人に貸してタイに仕事に行っている関係で、以前まではお盆と正月には帰省していたが、実家が消滅してしまったので帰ることができなくなってしまっていたのだった。
今年は幸いにして友人の結婚式が二度あり、お陰さまで二度も地元に行くことはできたし(二度ともホテルに泊まった)、法事に合わせた母の一時帰国のお陰でさらにもう一度、帰ることができた。
実家は尾道にあるのだが、尾道は昔からさまざまな形で描かれてきた場所でもある。だから表象の尾道とそこで生まれ育った人間としての尾道のイメージとのズレもある。単に懐かしさを感じるだけではなく、イメージの中の尾道との齟齬というものを同時に感じもする。
今は完全に生活拠点を東京に移しているし、大学を東京に決めた辺りから「地元は捨てた」という紋切り型に従って人生を歩むことを決意し、東京で結婚もしたのだが、かといって捨てたことを徹底するほどの度しがたい因縁があるわけでもない。
言葉というものは常に裏切るものであるが、その捨てたというワードはすぐに裏切られることになって、「地元を捨てた」私は実家にたびたび帰っていたし、地元の友人連中と会うことは何よりもエネルギーをもらうことだ。
保育園落ちた日本死ねにしてもそうだが、この言葉の短絡的解釈はもちろん「だった日本に住まなければいいじゃん」というものであり、言葉の上ではその返答は正しいかもしれないが、それは例えば保坂和志が言うところの中学生的な考えに過ぎないわけである。純粋に理論上の言葉、理念上の言葉だけが人々の生活を規定するわけではない。
地元から東京へ上京し、そこで生きていくことを決めた人間が、かといって本当に純粋な意味で「地元を捨てた」かといえば、もちろんそんなことはなく、年に一度は地元に帰らないとそわそわしてしまう。
うまく言語化できないのだが、地元を対象化し、そことの距離をうまく取りつつ、よりよい生活に軸足を移していこうとする、といった考えがおそらくはこの「地元を捨てた」感覚に近いものなのかもしれない。少なくとも私の場合もそうだろう。
何か具体的に酷い目に遭っているわけでもないのだが――もしかするとそれはもうすでに忘れ去ってしまっただけで、そこに留まり続ければ記憶は記憶として風化されることなく、今現在も血が流れ続ける傷となってあり続けているのかもしれないのだが――けれども何か違うという感覚が、地元に住まうこと、そして地元に住まい続けることの難しさであり、「地元を捨てた」感覚の大元であるのかもしれない。
地元に帰るたびに思うのだ。ここは自分の居場所ではない、と。けれども同時に懐かしさが訪れもする。そこは記憶と経験に基づいた、過去の想起と現在との相違が常に更新され続けていく場であり、その所以は地元の変わらなさなのだ。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」という『方丈記』の言葉を何となく思い浮かべたが、おそらくは「河」や「河の流れ」自体は変わらず、そこに流れる「水」が変わっているという、そういうことなのかもしれない。
ひたすらに流れていく。根無し草であるのだから。