雑記として。
仕事をしているうちに、何度か部署を異動することはままある。生きていると、ある日突然、劇的に環境が変わり、その戸惑いは個人的な経験の中では大きな出来事ではあるものの、社会全体というマクロな視点で見たときは人の移動/異動はごくありふれたものである。
統計的な感覚が人の主観に入り込んで久しい。
Nは常に1でしかないものの、「私」の持つ経験値は複数の私を可能にする。あのときどうだったのか、何を選択したのか、何を選択しなかったのか、この実行はどの成否に繋がるのか、連鎖的な反応の行く末を経験していないにもかかわらず知っている、既知の領域の拡大。
統計的な、複数人の人生を同時並行で経験し、圧縮した知見をあらゆる場面で持つことになる。レビュー、口コミ、検索、生成AI。
あるいは、経験の敷衍。換喩することで、未経験の出来事を経験の範疇に包合させること。
「これまでの経験を活かして云々」という言葉をついつい使いがちであるし、実際私も使ったことがあるものの、直接的なその経験が役に立ったようなことはない、と思う。間接的な寄与こそあれ、この「経験」そのものを参照しつつ、新しい仕事をやると、大体の場合は失敗している。「同じこと」をやる場合、それは培ったスキルの流用が可能である、という感じがしており、「経験」を活かしているわけではない。
というのが私の感覚であるが、では、この経験値というものは一体何なのだろうか。社会人である場合、そのレベルアップとしては場数という気もする。しかし、それはおいそれと活かせるものなのか。