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甘酸っぱさとその泥濘 ―『ハチミツとクローバー』にまつわる思い出について―

ハチミツとクローバー 1

ハチミツとクローバー 1

 

  先日、久々に羽海野チカの『ハチミツとクローバー』(以下、ハチクロ)を読み返していた。NHKで『3月のライオン』が放映されていて、それを見逃し配信で観ているということもある。最初は正直言えばうじうじとしている主人公に苛立ちを感じないでもなかったのだが、観ていくうちに繊細な描写に感じ入るところがあって、いつの間にか観ていないとそわそわするような、そういうものになっていた。

 それで作者が同じだったなとハチクロを思い出して、数年前に人に借りて読んで以来、手に取っていなかったということを思い出した。けっこう面白かった覚えがあったものの、内容はもうほとんど思い出せない。私はマンガを読むスピードがそれなりに早いのはいいのだが、ガムをちょっと噛んだだけで捨ててしまうようなもので、あんまり長く記憶に留まらないのだ。

 幸いにしてKindleで購入することができたので全巻一気に購入し、私は読み始めることになるのだったが、久々に読み返しても面白く、というか前述したように羽海野チカはかなり繊細に登場人物の心情を説明していく。またその描き方は単に心情を台詞にするだけではなく、情景や線の中に込められている。だから『3月のライオン』はアニメになっていても、情景や線をきちんと動かそうと思う限り、その繊細さはきちんと伝わってくる。

 私は作中の山田あゆみという女の子が好きだ。彼女は真山という男の子に恋しているのだが、彼は別の女性に心を寄せている。それが分かっていてもなお、彼女は真山のことを思い続けていて、その叶わない恋に自分自身、傷ついている。好きな相手が自分に好意を向けてくれない。普遍的であるけれども、かといって自分の身に起こると苦しい立場がとても繊細に描かれている。その繊細な描写が、まるで読んでいる自分自身のもののように、あるいは自分の経験に染み渡ってくるからだろうか、彼女が真山への思いを乗り越えていくまでの過程がとても好きだ。

 読み返してみて、初めて読んだときも二回目に読んだときも、変わらず山田あゆみが好きなキャラクターなのだけれども、ハチクロについては作品外の思い出もある。

 私はハチクロを大学生のときに、ある女の子に借りた。当時好きだった女の子で、けれども彼女には彼氏がいた。だからなのだろう、私は山田に感情移入してしまったのだった。しかし山田と私が違ったのは、その彼女が彼氏と別れた、ということで、私は彼女と何度か「いい感じ」になった。当時、スカイプで友達に相談すると、「ハチクロを貸してくれるならば、脈ありだよ」と言われて、その気になった。そしてそういった一連の出来事があった時期はクリスマスだった。

 私は彼女とクリスマス直前に井の頭公園でデートした。たしか飲みの帰りだったような気がする。手をつなぎながら、彼女と一緒に公園を回った。当時私の家は公園の近くにあり、だから、そのまま連れ込みたかった。それに友達曰く「脈あり」であるし、クリスマス時期に「いい感じ」なのだから、きっと連れ込めるだろうという勝算があった。

 とぼとぼと公園を歩くうちに彼女が疲れたと言った。私は家に行こうと誘ったのだが、彼女はかぶりを振った。

「前の彼が忘れられないの」

 彼女は冷たいベンチに腰掛けて、私にそう言った。私は裏切られたように感じられた。世界が、クリスマスのムードが、友達の「脈あり」発言が、私を裏切った。

「どうして」と私は言った。そう言うしかなかった、というのもある。だから私は繰り返すしかなかった。「どうして」と。

「どうしても」と彼女は答えにならないことを言った。「どうしても」

 冷たいベンチに腰掛けて、白い息を吐き、そして手をつなぎながら、私は彼女に拒絶された。酔っていた私は彼女になんとかして「いい感じ」以上のものを求めたかった。こんなに私を裏切ったのだから、せめて、せめて一夜だけでも、と。

「だめ」

 彼女は無情にもそう言った。というか、ふつうに考えるとそう言われてしかるべきなのだが、それでも私は不格好にも食い下がった。「嫌だ」と。

 駄々をこねるしかない私に対して、彼女の決意は固かった。私は何度も「嫌だ」とか「離れたくない」とか、そういう身勝手な、女々しいことを言った。彼女に抱きつき、離さなかった。手をつないだカップルたちが、何人も通り過ぎていくが、私と違ってみんな幸せに浸っていた。

「……じゃあ」と業を煮やした彼女が言った。「これだけね」

 私は目を見開いた。

 井の頭公園のベンチは、二人で座ると間に固い鉄製の肘掛けが邪魔する。だから彼女の「これ」は、ちょっとやりにくかったし腰にそれが当たって痛かったと正直に告白しよう。けれども、そんなやりづらさも、まるでホワイトクリスマスみたいに降ってきた僥倖によって忘れた。

 私は彼女を見た。ちょっと気恥ずかしそうにしている彼女を眺めながら、私はこれが「いい感じ」以上なのだと思い込もうとした。これをきっかけに、私たちは家に行くんだと。

 私は彼女に触れようとした。さっきまでずっと手をつないでいたし、体に触れるくらい何ともないことだと思ったのである。けれども彼女は身をよじって、立ち上がった。もう夢は終わりなんだと暗に私に告げていた。

 私はとぼとぼと彼女のあとに付き従い、駅で彼女を送った。

 家に戻った私は、すぐにスカイプを立ち上げてオンラインになっている友達に電話した。あの夢のような出来事は、そしてその一瞬以外は夢だったのだと思い込みたいあの出来事は、どのように解釈すればいいのか、と。

 友達はひとりしかオンライン上にいなかった。いつもはみんなでわいわいどうでもいいことを話し合うのだけれども、ひとりだけでもその友達は支離滅裂に喚く私の話を聞いてくれた。だんだんと彼女への罵詈雑言が増えていっても、友達は最後まで付き合ってくれた。

 そしてクリスマスイブ。

 大学のゼミで会った彼女の傍らには、例の彼氏がいた。元サヤに収まったのだと、私は思い知らされた。私はばつが悪く、できるだけ目を合わさないようにした。どことなく気まずく、居心地の悪い思いをした。いったいあれは何だったのか、と冷静な思いがどんどん消えていき、やけっぱちな思いに囚われていった。

 その夜、私は西友でブラックニッカを購入した。たしか4リットルのものである。私はその日から罰のようにそれを飲み始めた。年末に祖父が亡くなって実家に帰るときまでに、そのウイスキーは空になっていた。そして地元で高校の同級生と飲んで、彼氏持ちの女の同級生にさんざんセクハラをして、男友達に「もういいから帰れ」と一万円を握らされてタクシーに乗せられた。車の中で私はふらふらと彼女のことを思い出していた。

「停めてください」

 と家に着いてもないのに、私は途中でタクシーを停めて、覚束ない足取りで真っ暗な田舎道を帰った。つらつらと思い出に浸りながら、何度も「いい感じ」の時期を思い返した。何度も「どうして」という思いに囚われた。

 馬鹿やろう!と叫び出しそうになったとき、足下が急に抜けた。とうとう底が抜けてしまったのだと思うと、体が宙に浮き、尻餅をついていることに気づいた。地面に手を着くと濡れていた。私はドブに落ちていたのだった。この寒空の下、街灯すらない真っ暗な田舎道のドブに。

 幸いにして怪我はなかった。

 へろへろの状態で私は実家の敷居をまたぎ、家中を泥だらけにしてお風呂に入ってた。そして泥のように眠った。翌朝、母親にこっぴどく叱られたのは言うまでもない。

 ハチクロを読むというのは、私にとってこういうことを思い出すことなのである。まるで竹本くんが「青春の塔」を作っていたような、ああいう時代に遭遇してしまうということなのである。