Outside

Something is better than nothing.

二つの冷蔵庫との一日

 家電について書くことがべつだんこのブログ全体の趣旨ではないにせよ、掃除機に始まり冷蔵庫へ至っていることは事実で、これは偶然ではあるのだが致し方ない。しかし、私にとって家電製品というものは生活を構成し、さらにはその質を向上させる、ささやかな(しかし値段は高い)道具ではあるので、ここでは最近新調した冷蔵庫について、いや、冷蔵庫にまつわることを書いていこうと考えている。

 新しい冷蔵庫を買う、ということは、必然的に古い冷蔵庫を生じさせるわけで、今では家電リサイクル法によりその処分が厳格に決められているため、たかが冷蔵庫とも言えないのだった。冷蔵庫に限らず、かつてテレビを購入したとき、処分に困ったことがある。てっきり粗大ゴミで捨てるのかと思っていたのだ。これは私の常識のなさの所為である。

 このたびの古い冷蔵庫は、義弟にあげることにした。春から一人暮らしをしているので、ちょうどよいだろうと思って昨年末くらいからつらつらと考えていたのだが、元より出不精なこともあり、購入が4月末にまで伸びてしまったのは申し訳ないことだった。

 この古い冷蔵庫は、例によって私の上京に伴って購入したもので、付き合いとしては6年と少しくらいだろうか。一人暮らし用のものなので、結婚して二人で使おうとすると容量に不満が出てきてしまうのだった。

 なにせ冷凍庫に入る物量がまず少ない。共働き世帯にとって、冷凍庫に食料を突っ込んでおき、適宜解凍して食べる、ということは重要であると私は考えるのだが、むりやり押し込んでいき、何とか入らないこともない、という騙し騙し使っている状況になってしまうわけであり、それでは食べる意欲が減退する。冷蔵庫の方も同様である。

 私は飲むことがとても好きで、それはお酒に限らないのだが、清涼飲料水だろうが酒類だろうが、入る量がない。そのためストックがほとんどない。

 かくして、より容量の多い冷蔵庫を購入するための動機が揃い、経済的な余裕も多少はあったので、私たちは冷蔵庫を買うことにしたのだった。例によって速決である。家電量販店に行き、選び、ものの十分程度で購入を決定した。即日配達が可能だということで、私たちは後事を運送会社に託し、帰路についた。

 家に帰り、旧の冷蔵庫を掃除することにする。義弟にあげるとはいえ、長年使ってきた冷蔵庫である。積年の汚れが詰まっており、他人様に差し上げるものとして中途半端なものを渡すわけにもいかない(一生懸命綺麗にして、後日送付した)。

 夕方になって冷蔵庫が届いた。ものの数分で設置は終わり、冷えるのに二時間くらいかかりますよ、と運送会社の人に言われたので、そのくらい経ってから続々と物を入れ始める。

 広い。実に広いのだった。

 空間に余裕がある。それは今までの二人暮らしの中で初めて起こったことだった。妻も喜んでいる。そして同時に、このがらんどうの空間に対して、ある種の恐れを感じてもいるのだった。何もない。何もない、ということは、どこか貧相ではあるまいか。

 しかし、すぐに物でいっぱいにするわけにもいかない。不必要に物を買ったところで、無駄になるだけである。生活の中で物は自然と蓄積されていくものなのだ。つまり、例によって時間が解決する。