Outside

Something is better than nothing.

小説のエネルギー

 

Energy

 久々に小説を書くようになって、その書きっぷりがまた単に書くことが可能という状態ではなく、思考自体が小説を書くものに変貌している、ということに驚いている。具体的には記述の果てにぐちゃぐちゃした、時に矛盾するセンテンスを書けてしまっているというところで、ややもすれば無意味になりかねないセンテンスを書きながら、とんでもない幸福に浸っている。そしてその巨大さが、同時に大きな落胆をも呼び起こしている。

 平坦さだけが、あるいは普通さだけが思考の中心にあるときには、それはそれで穏やかではあるのだが、けれども何か物足りない。物足りないということは、何かに不満を持っているということになるのかもしれないのだが、そういうわけではなく、単に思考の向ける先が異なっているというだけなのだ。

 小説を書くとき、物凄い量のエネルギーが、どんなに稚拙なものであっても入り込んでいて、そのエネルギーを制御しながら、抑えきれない何かが小説を突き進めていく。小説の思考というものはとんでもないエネルギーの渦中にあるということだと思っていて、そのエネルギーは小説を書き続け、小説について考え続けることでしか到達できないと、少なくとも私の場合に限れば、思う。