Outside

Something is better than nothing.

『ハドソン川の奇跡』(2016年)

 クリント・イーストウッドの『ハドソン川の奇跡』を観る。

 トム・ハンクス演じるチェスリー・“サリー”・サレンバーガーは、USエアウェイズ1549便の機長として、アーロン・エッカート演じる副機長ジェフ・スカイルズとともに離陸直後の航空機にバード・ストライクが発生するという状況に対応する。航空機事故史上初めて発生した低高度におけるバード・ストライク、そして両翼エンジンの故障に対して、サリーたちは冷静に対応していく。だが、近隣の滑走路に降り立とうと思うものの、そこまで高度が足りない。サリーは乗客たちを救うためにハドソン川へ不時着する、という決断をする。その決断が功を奏し、1549便の乗客および乗組員は死傷者を出すことなく川に不時着し、すぐさま救助される。だが、その後国家運輸安全委員会による事故検証が始まる。サリーの判断について、厳しい検証が入っていく。つまり、ハドソン川に不時着という決断が本当に正しかったのか、という疑いの眼差しだ。しかし、そこには人的要因が一切省かれ、未曾有の事態を前にして即座に引き返すという選択を試みるというシミュレーションがまかり通っている。サリーはその結果に対して厳しく反論する。そして35秒間という猶予期間を設けられた後、シミュレーションによる検証にも堪えうる、サリーの判断の正しさが証明される。

 作品としては非常に見応えのある作品だったし、トム・ハンクスアーロン・エッカートの演技は申し分ないものだった。思えばロバート・ゼメキスによる『フライト』(2012年)のデンゼル・ワシントンとは一線を画すような、沈黙の映画でもあった。

 まったく作品とは関わりのないようなものになるのかもしれないのだが、イーストウッドの近作は妙にフィクションの中に実際の映像を挿入することにハマっているらしく、この映画でもエンドロール中に本当のサリー(夫妻)が挿入されている。

 これはある意味で自信だと言うこともできるのだろうが、しかし本当にそうなのだろうか、とも思わなくもない。ある意味で、どこかフィクションらしさを放棄したような、そんな印象を受けなくもないのだった。

 フィクションに地続きの映像としてノンフィクションな映像が挿入されるのはどういうことなのだろう。