Outside

Something is better than nothing.

多寡の誘起

it is a lot of chrome

 新型コロナウイルスの感染拡大が続き、いわゆる第三波が猛威を奮っている中、毎日「過去最多」ないしそれに類似した言葉が飛び交うようになって久しい。私はというと、仕事上エッセンシャルなワークでもないけれども、単に設備上の不足という物質的な理由によってリモートではなく、職場に毎日通って仕事をしているのだが、ついに明日からリモートワークを部分的に行うこととなった。それにしたってセキュリティ上の問題から、生産性を発揮できる環境なのかというとまったくそうではなく、その生産性の文字について真剣にあれこれ考えるあたり私もサラリーを延々と受け取るしがなさが板についてきたのかもしれない。

 アメリカ大統領選が(おそらく相当数の人間による努力のお陰もあって)ある程度まで落ち着き、しかしアメリカにおける感染状況も極めて悪く、また本邦においても、もはや政府の政治能力の欠如によって一連のGo Toでさえ一時中止できない事態であるのだが、その無能の結果として人々がバタバタと死んでいく事態に陥ると考えるとぞっとする。

 あまりにおぞましいものであると生理的に理解しているからか、テレビですらその顔を見たくないのだが、たまに不可抗力的に見てしまうそのご尊顔にはにやにやとした嫌らしい何かが張りついていて、一体何を見せられているんだろうと思っていたが、どうやら世間の人もある程度まではそう思っていたらしい。それにしたって酷い。そこには人死にがどこまで進んだとしても一向だにしない頑なさしかないではないか、と思う。

 そしてそれは世の中にありふれてしまった。渋谷区では路上生活を行う女性が殺され、また度数の高いアルコールの一気飲みをゲーム感覚で(事実、ゲームであったのだろう)行わせ、おそらくは急性アルコール中毒で死んだであろう若い女性もいるようである。

 毎日、感染者数の多寡に一喜一憂をして、その繰り返しの果てにおそらく大多数の人が第二波の辺りで少し疲れてしまったのではないかと推察するが、そうこうしているうちに百が二百になり、二百が三百になり、三百という数字に動じなくなってきたところで四百、五百と増えていく。ついに六百という数字を超え、心理的な麻痺の水準がどんどん引き上がっていく。もはや四百では少ないという感想すら覚える。

 我々はどうなってしまうのだろうか。

見放された音楽

guitars

 父はよくギターを弾いた。母の顰蹙を買いながら、母と息子は父の奏でるギターと下手くそな歌を聞いていた。しかしながら、こう言っては何だが、楽しそうに歌う父の姿は印象的で、彼のようにギターを弾いて歌を歌えば自分はなんて幸せなんだろうとも思った。

 ところで、私は小学生の時分、ピアノを習っていたのだが、何のためにピアノを習っていたかといえばどうやら私が習いたいと親に言ったからで、けれども子供の情熱などさほど当てにならないから、少しやって思い描いた通りに弾けないからとだんだんと飽きてきたのを覚えている。ピアノをやるのが苦痛で仕方なく、私がもしもう一度人生を初めからやり直すとすればピアノなど二度とやるものか、と思ったのを覚えている。

 それから、というもの私は音楽と切り離された人生を歩んだ。

 私は文学をもっぱらとして文学部にまで行ったのだし、歌うのはそれなりに好きだったが、それはせいぜいカラオケに行ったときくらいで、妻を相手に替え歌を歌って悦に入るくらいであったのだが、自分の人生というものは音楽からは見放されているのだ、という風に考えていた。

 その背景には子供の時分の、苦いというよりは七面倒臭い思い出があったからだろう。特に憎しみも苦しみもあったわけではない、というところにより一層の見放された感を覚える次第である。

 だから、というわけではないのだが、私は映画を観て、音楽からは距離を置いた。もちろん映画音楽というものもあるくらいなのだから映画と音楽というものは距離が近しいのだが、そこにおいてはあくまで画面上の出来事を追いかけるというスタンスで、音楽については一定の距離を取ることとした。もちろんそれは欺瞞であるのだけれど。

 画面の上で起きる「動き」は私を快楽に誘った。そこにあるのは純粋なる動きから沸き起こる快楽で、それをトレースしていくことで私は私なりに映画の快楽について理解できたように今では思っている。ある程度のレベルで私は映画を「分かるもの」として認識しているが、それは小説への理解と類似したプロセスから来るものだ。

「分かる」というこの感覚を、私は「音痴ではない」という音楽的な理解から敷衍して理解している。そしてこれは逆説的なものである、というところからも一種の屈折を感じる。私はこの音楽的な喩えを使いながら音楽については常に「音痴である」という認識を持っていた。

 この「音痴ではない」状態を別の言葉で表せば「センスがある」ということなのかもしれないのだが、映画においてもっとも重要なことは何かと言われたとき、私は一言で言えばという留保をつけると、「画面の中で何が起きているのか把握できること」と考えている。この画面はシーンとシークエンス両方を指しているように思うのだが、難解な映画理論を別としても、あくまで鑑賞者としてはそれが一つの取っかかりであろうと思う。小説においては「テクスチャーの感覚」を挙げるが、これは難しく言っているだけで映画のときと同じようなものだ。

 音楽について、私はそれがなかった。ないものだ、と思っていた。そして、今もってあるとも思っていない。

 しかしながら、最近は音楽を作る機会が増えて、この年齢になって新しい趣味ができたことを喜ばしく思う。一方で、未だに音楽について小説や映画ほどの確信を持てずにいる。それは特に小説が再現可能かつ現場感が分かるのに対して、音楽はその生の感覚がどうしても持てないから、だということができる。

 私は小説や文章、あるいは映像――とは言わないにしても写真――を作っているときに、そこにあるリズムを解することが私なりにできているが、音楽はまだそれがない。今後それが備わるかどうかも分からない。しかしながら、自分なりに感じられる快楽を追求することはできる。技術的なレベルという限界は当然にあるとしても、かつてそれを放擲したときと比べると、信じられないほどに粘り強く事に当たっている。

 思い返せば、こんな振り返りを書く前に私はかつて父が私たちにそうしたように、楽しく音楽を妻に聞かせている。それが態度としての正しさを担保できているかどうかは分からないにしても。そして、残念なことに楽器を奏でる技量はないけれども。


middle / Joe Kuga【作業用BGM】

月を指して指を認む

Moon

 読書猿の『独学大全』(ダイヤモンド社)をようやく読み終わることができたのだが、その中に長年、きちんと正しい言葉を知らないまま使っていた言葉があってそれがタイトルにもある「月を指して指を認む」というものなのだが、説明を前掲書から引用すると、

 我々が教導するのは、師の現にある姿でなく、そうあろうとする姿である。つまり我々が本当に師事すべきなのは、相手が実在の肉体を持った現実の人物である場合ですら、まだ現存していない架空の師であるのだ。「月を指して指を認む」(月を指差して教えたのに月を見ないで指ばかり見ている、の意)の愚を犯してはならない。師匠という「指」でなく、師匠が見つめるその先(「月」)を見よ。
独学大全――絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法、P.184)

 ということである。誠にその通りだと述べるより他はない言葉で、私はこれを大学生のときに聞いた。尊敬していた教授が仰っていた言葉で、これもこれで一つの学習に際しての原初的な体験ということになるのかもしれないのだが、私はそれを学習においてというよりは仕事においてもモチベーションとしている節がある。

 それはともかくとして、昨今の新型コロナウイルスの第三波の状況については政府の無策っぷりを嘆くばかりで、これはこれで途方もない後退を感じることになるのだが、どこもかしこも撤退戦の最中であるように感じられ、いよいよ貧しくなるとはこういうことなのかと、気持ちが緊縮財政下における人々の心情に限りなく近づいてきて、年末も近いというのに萎縮して仕方ない。もちろん景気良くパーっと飲むわけにも行かないので、つい先日、飲み納めもしてきたところである。

 ところで、ブレイディみかこの新刊『ブロークン・ブリテンに聞け』(講談社)が出ていたので読んでいた。その中で気になった点があったので引用しておきたい。

 その事実を踏まえたうえでも、カミングスが閉じこもっていた倉庫のドアにびっしり書かれていた夥しい数の言葉たちは衝撃的だ。E U離脱投票後、世界中の識者たちがいろんな言葉を使って結果を分析してきたが、それらの言葉はすでに全部あのドアに書かれていた。
 そして膨大なデータを分析してそこから結論を導き出すように、パブで聞き込んだ膨大な数の言葉を書き出してそこから導き出したスローガン(つまり、言葉)は「TAKE BACK CONTROL」だったのだ。
 残留派はデータやエビデンスを重んじるばかりに、スローガンが人の感情や想像力におよぼす力を軽視していた。むかしから、檄文というのはあっても、檄データなんてものはないのである。
 現代の英国の混乱ぶりを見れば、E U離脱投票で主権を回復したのは、英国でも、英国の人々でもない。あの投票で真に覇権を回復したのは、「言葉」だったのかもしれない。

ブロークン・ブリテンに聞け Listen to Broken Britain、P.98)

  これはイギリスにおけるEU離脱問題があった頃の、離脱派と残留派のそれぞれの選挙キャンペーンを担うことになった担当者のドキュメンタリーについての文章で、カミングスというのが離脱派の側の人間なのだが、彼はパブに通ってはせっせと「言葉」を収集し、最後にはキャンペーンの「言葉」を編み出すに至る、ということがここに書かれている。

 これを読んでいて、まさにそうだ、ということを私は思った。檄文というものは存在するが、檄データというものは存在しないわけである。ここ数年の政治状況において「言葉」ほど、その存在、役割、機能、美学、意味が毀損されたものはないだろう。思い出せばイギリスのボリス・ジョンソン現首相は確かギリシア語でイリアスオデュッセイアかを暗誦していた、という動画があったような気がするのだが、あの彼ですらレトリックというものはあったのかもしれない。あるいは、それこそが本質的な意味におけるリテラシーであった、と。

 言うまでもなくここ数年の「言葉」を巡る日本の混乱は、例えば「ご飯論法」という詭弁以前の用法からも明らかなように、自己破壊的なものである。既存の枠組み、既存の論理の強度に耐えかねて、言葉としての自立性すら危うくなっているではないか。

 そして、話は冒頭に戻るが、言葉としての自立性を担保できなくなったところに、月を語る言葉を持たないために月を指すこともできず、できないために月などそもそも存在しないことにして指以外を見ようとする者を排除する。結果的に誰しも指しか見なくなり、その指の動きを目で追った挙句に混乱を来す。指の動きは不定なので、目指す先が行き当たりばったりになるのは当然なのだ。

 以前に私は、我々は深く深く潜るしかない、といったような「言葉」を書いたことがある。今もって似たような認識を抱いていることは事実なのだが、我々は月を見るためにまず潜らなければならないほど酷い状況にあるのかもしれない。