Outside

Something is better than nothing.

『レディ・プレイヤー1』(2018年)

 スティーブン・スピルバーグの『レディ・プレイヤー1』を観る。

 2045年、地球環境は荒廃し、人々はマーク・ライランス演じるハリデーとサイモン・ペッグ演じるモローが創始したVRゲーム「オアシス」に熱中するようになる。そこでは日常生活のほとんどを費やすようになり、VRのゴーグルを街中でも身につけ、実際に歩く必要などもあることから、床にランニングマシーンのような形の歩行装置をつけたり、あるいは触覚をカバーするために特注のスーツなどもあるようだったりするのだが、その代わりにゲームに熱中するあまり現実世界における金銭を過剰に使い込み、奴隷労働のようなことをするプレイヤーもいる。タイ・シェリダン演じるウェイドは、ゲーム上では「パーシヴァル」として一匹狼として、オアシス創始者が遺したイースターエッグを仲間のリナ・ウェイス演じるヘレン・ハリスこと「エイチ」と協力関係を築き探していた。ハリデーの遺したイースターエッグには三つの鍵が必要で、その全容は謎に包まれていたが、一つだけ明らかになっているものがあり、それはレースゲームだった。そこでプレイしようとしていたときにオリヴィア・クック演じるサマンサこと「アルテミス」と出会う。彼女に惹かれたパーシヴァルは彼女に接近するもエイチに気をつけろと忠告をされる。しかし彼女と話している最中にヒントを得たパーシヴァルは第一の鍵を得るための答えを見つけ、実践し、見事にイースターエッグ争奪戦において一位のプレイヤーとなる。しかし、鍵を求めるのは何も個人に限ったことではなく、オアシスの継承者として迎え入れられることはすなわち莫大な財産を相続することをも意味したため、ハリデーとモローの使いっ走りでしかなかったベン・メンデルソーン演じるノーラン・ソレントがIOIという会社を興し、組織的にオアシスの攻略に臨んでいた。ソレントはゲームに対する愛はないが、貪欲さのみで攻略に望んでいき、T・J・ミラー演じるアイロックに秘密裏にパーシヴァルの抹殺を依頼し、現実ではハンナ・ジョン=カーメン演じるフナーレにウェイドの追跡を依頼する。パーシヴァルはアルテミスに熱中するあまりに第二の鍵を攻略中にうっかり自分の本名を口走ってしまったことから、アイロックにそれを盗聴され、居所が分かってしまう。その結果、フナーレに居所を爆破されるが、ウェイドはゲームプレイ中は他の場所にいた。しかし、育ての親である叔母が殺されてしまう。途方に暮れていたウェイドだったが、サマンサの手の者に連れられて彼女のアジトに匿われ、そこで仲間のフィリップ・チャオ演じるゾウこと「ショウ」や、森崎ウィン演じるトシロウこと「ダイトウ」などと協力し、キューブリックの『シャイニング』をトレースした舞台で第二の鍵を手に入れるものの、IOIの襲撃により、サマンサが捕まってしまい、労働を強制される。サマンサ救出とともに第三の鍵攻略へ向けてパーシヴァルたちは動き始めるが、ソレントはアイロックに秘密のアイテムを使用させて、侵入を許さない。第三の鍵の舞台はレトロゲームで、IOIは独占的にその捜索に当たっていたが、パーシヴァルの演説によりゲームプレイヤーたちが対IOI戦を繰り広げる。トシロウはガンダムに変身し、ソレントはメカゴジラを召喚した。囚われたサマンサの救出された後の機転が奏功し、バリヤを突破することができ、パーシヴァルは決戦に望むも、自爆アイテムを使用したソレントによってすべてが灰燼に帰した……かと思われたが、案内人(実はモロー)からもらった25セント硬貨が1UPアイテムだったため、なんとか第三の鍵を攻略することができたのだった。そして彼はハリデーの遺志を継ぎ、仲間たちとともにオアシスを運営することになったのだった。

 サブカルチャーというサブカルチャーがふんだんに詰め込まれており、このごった煮ぶりはおそらくアメリカ文化というものがなければまず不可能だろうし、そうであったとしてもスピルバーグでなければここまでまとめきれないのではないか、という感じがする。ともすれば細部に拘りすぎる、いわゆるオタク趣味的なものに陥ってしまいそうな気もするのだが、かなりバランスが取れて面白い作品になっている。

 個人的にはメカゴジラの登場あたりでゴジラのテーマをアレンジしたBGMが流れたところが好き。微妙にガンダム世代じゃないからか、ガンダム登場は凄いと思ったけれどもそこまでぐっと来なかった。

 細かな演出もあざといという向きもあるかもしれないが、個人的には満足で、これはいい映画である、と私はひとまず結論づけたい。

4月の振り返り(Stairway 4)

Sakura

 新しい年度が始まった。例によって年度末から異動や経営計画に基づき、新たな体制となることで忙しい時期である。そして政治状況については先月から引き続き、正統性を揺らがせる出来事が相次ぎ、また世界的な潮流でもある#me too的な、セクハラによる告発も相次いだ。

 2つの大きな事柄について、まず触れていきたい。財務省福田淳一(元)事務次官が、記者相手に卑猥な言葉を浴びせかけるなどしてセクハラとして週刊誌により告発された件がある。

mainichi.jp

 この事案は二つの路線で問題が展開された。まず一つ目はメディア上における番記者の、女性に対する扱い方である。

www.businessinsider.jp

 もう一つは麻生財務大臣に代表される、財務省の(おそらく官公庁全体の)、人権に対する認識が現代的ではない、旧弊な価値観が二つ目だろう(注記:下記記事は5月のものだが、分かりやすいためここで上げた)

www.asahi.com

 いずれの問題意識も女性への人権意識の低さが露呈し、それぞれの意味において本法における女性の地位について暗い思いを抱かざるを得ない。とりわけ福田元次官に下った処分の理由としては、女性の人権を侵害したかどではなく、あくまで役所に迷惑をかけたという内向きの理由が挙げられている点は甚だ酷い。

 もう一つの告発は、アイドルグループのTOKIOに所属する山口達也が、自宅に招いた女子高生相手に強制わいせつを働いたというかどで書類送検されたという事件である(最終的に不起訴処分)。

www.cyzo.com

 TOKIOの他のメンバーの会見等が話題になり、本人も謝罪をし無期限の謹慎が事務所の処分としては言い渡されている。対応について、所属するジャニーズ事務所からの会見等がなく、あくまでTOKIOのみというところについて批判が上がっているが、それでもTOKIOメンバーから被害に遭った女子高生に対してのバッシング等を止めるように呼びかけるなど、一定の配慮を行ったことについてはある程度評価できるのではないか、と個人的には思っている。

 また、もう一つ、詳しい経緯はあまり把握していないのだが、#me too案件としては写真家のアラーキーこと荒木経惟の被写体(ミューズ)として長年パートナー関係を築いてきたKaoRiによる告発もあった。

note.mu

 これはまた芸術におけるハラスメントの案件として、極めて重要な問題だろう。と言いつつ、私はここで述べられていること以上の意見を持たないため、触れるだけに留めたい。

 性にまつわる最終的には三つの問題を取り上げたが、いずれも女性問題などと記されがちな問題であるのだが、被害に遭った当の女性に問題があったわけではなく、むしろ男性の側に問題があることは明らかだろうと思われる。未だに女流作家という呼称や、女性を土俵に上げないといったことが成立する2018年の本邦が残念でならない。

 これ以外のニュースの中で、二つほど興味を惹いたものがあったため紹介していこう。

 一つは「漫画村」という海賊版サイトなどと呼ばれる、著作権違反を常習的に行い、アクセスした者への広告表示によって利益を上げるサイトへのブロッキングである。現在のところ、児童ポルノ関係のみがアクセス遮断のためのブロッキングが法律に基づき行われているそうなのだが、予防的措置として緊急対応のためのブロッキングが実施された。

www.ntt.co.jp

 これについては相当の是非が侃々諤々されており、表現の自由や通信の自由といった観点から問題視されている。個人的には今回の運用については反対であるのだが、この予防的措置のようなものを許していった果てにあるものというものは、過剰な適用である。たまたま治安維持法についての新書を読んでいる中で、当初に制定された治安維持法がどのような経緯をもって拡大解釈されていき、当時の大日本帝国憲法下ですら違憲状態に常態的に陥ってしまったのか、ということについて触れられている。

治安維持法と共謀罪 (岩波新書)

治安維持法と共謀罪 (岩波新書)

 

  最後に触れるニュースとしては、展望が明るいものだ。韓国の文在寅大統領が27日に北朝鮮金正恩委員長と会談し、共同声明を発表した。朝鮮半島統一へ向けた板門店宣言を行った。

thekoreanpolitics.com

 本邦において、この会談を否定的に捉える向きも多く、そのことが残念でならないのだが、この統一へ向けた動きについてかつて植民地支配を行っていた本邦が蚊帳の外となっていることについては責任の放棄のような気がしてならない。一部のコメンテーターからは統一について、誰が望んでいるのかという頓珍漢な受け答えもあったようだが、南北で標準時間などが統一されたり、非核化へ向けた動きが進められたり、米朝首脳会談が動いていたりするので、個人的にはこのまま進んでくれればと思っている。

 最後と先ほど記したものの、米国の中国通信機器に対する動きがやや気になるところ、というので終わりとしたい。

www.nikkei.com

 ZTEだけでなくHUAWEIも米軍基地内での販売を禁止されているので、この動きがどうなるのか注視する必要があるだろう。

 

【関連記事】 

joek.hateblo.jp 

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『キング・アーサー』(2017年)

 ガイ・リッチーの『キング・アーサー』を観る。

 イングランド王のエリック・バナ演じるユーサー王は権力欲に取り憑かれた魔術師モルドレッドをエクスカリバーを用いて撃退するが、ユーサーの弟でジュード・ロウ演じるヴォーディガンが愛する妻を捧げて得た力をもってして兄に逆らい、王国を乗っ取る。そのときにユーサーの妻は死に、幼子であったアーサーは小舟で娼館へと流されていく。長じてからチャーリー・ハナム演じるアーサーは悪友たちとともに悪事を働くようになっていたが、リーダーシップを発揮するようになる。また川底からエクスカリバーが現れ、王国の中には真の王の台頭が囁かれていた。アーサーは自分の育て親である娼婦がヴァイキングの白髭に殴られたことをきっかけに、その取引相手であった王国側と対立していくこととなり、エクスカリバーを抜いたことによってヴォーディガンに捕まり人々の前で処刑されそうになるのだが、メイジに救われ、ユーサーの家臣だったジャイモン・フンスー演じるベディヴィアの協力を仰ぐ。ただエクスカリバーを受け入れないアーサーに対して、訓練を施し、キャメロット城へ踏み込み、ヴォーディガンを撃退するのだった。

『シャーロックホームズ シャドウ ゲーム』(2011年)において、個人的には自分の映画視聴体験史上、もっとも甘美な瞬間の一つである森の逃走シーンを撮ったガイ・リッチーは、今後いかなる映画を撮るのか、と私は密かに思っていた。で、この映画が撮られたわけになるのだが、なんだかとても変なところに迷い込んでしまったかのような感じがするものだった。

 面白くないわけではないし、実際当初の副題であった「聖剣無双」という言葉がぴったりな映画であったわけなのだが、おそらくこの映画がコケた理由を考察すればドラマ部分の省略によるものだろう、と思われる。

 トロイ・ダフィーの『処刑人』(1999年)などにおいて、奇妙にドラマの進行を阻害するものとして、状況の再現があった。実際アクションは素晴らしいし、魅力はたっぷりあるのだが、このドラマ進行における省略を伴った再現が、ドラマの進行を著しく阻害した結果、ある種の失敗に至ったのだろうと私は考えている。

 同様のことがガイ・リッチー版の『キング・アーサー』にもあるのではないか、と思われる。それは諸侯との間の交渉に顕著だろう(もっと前に言えば悪友たちの日常を王国軍に語る場面もそうだ)。試練の後、今後について語り合っている彼らの様子が、その後の交渉シーンと奇妙にオーバーラップしていき、行ったり来たりを繰り返した挙げ句に、その(おそらく本来的にはドラマとして成立していた)シークエンスを端折っている。これはエドガー・ライトが『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004年)などで見せた細部のジャンプカット的な省略とはまた違った次元での省略であろう。

 結果として現前する画面はほとんどゲームプレイである。この「聖剣無双」という副題としてつけられるはずだった呼び名は、極めて的確な批評でもあったのだ。

 個人的にはこの省略によって余計なドラマを省いたというメリットは認めざるを得ないのだが、あまりに省略させすぎた結果として、まるでムービーシーンをひたすらスキップしていったような三国無双系のゲームプレイ動画を見せられているようだった、という映画になってしまったのかと思われる。