Outside

Something is better than nothing.

『セレニティー:平穏の海』(2019年)

 スティーヴン・ナイトの『セレニティー:平穏の海』を観る。Netflix映画。

 マシュー・マコノヒー演じるベイカー・ディルはプリマス島という島でジャスティスと名づけたマグロを追い求めていたが、ある日、彼の前にアン・ハサウェイ演じる元妻カレンが現れる。彼女は再婚相手から虐待を受けており、彼の息子もまた同様だった。そのため、釣りの際に夫を突き落とし殺害して欲しいと依頼される。ジャスティスと犯罪との間でせめぎ合うベイカーだったが、彼は結果としてカレンの思惑通りに行動する。だが、実はその世界はゲームの世界での出来事で、ベイカーはすでに死んでおり、彼の息子が作り出したものだった。

 雰囲気だけ映画というのは結構な数、存在しており、それはたとえハリウッドスターが出演していても変わらない。ジョニー・デップが出ていた『トランセンデンス』(2014年)などが私が最近観た中で思い出すことができた作品なのだが、つまるところ、そういう類の話になってくると、なかなかに論評が難しい。

 途中からゲームの世界的な具合(たぶんある種の『トゥルーマン・ショー』的なテーマである「父子」、というテーマの逆転を描きたかった?)、そして登場人物がすでに死んでいること(言わずもがな『シックス・センス』)、また釣りというテーマはなかなかに文学的な気もしたのだが、だが、それらすべてが中途半端に終わってしまうところがこの映画の真骨頂で、途中で出てくるセールスマンも、思わせぶりな登場と世界の真実を告げる役割を与えた後はあまり存在意義がないし(これは『マトリックス』なのか?)、アン・ハサウェイはひたすら薄っぺらく(彼女が悪いというわけでない)、マシュー・マコノヒーは孤軍奮闘する。

『キングダム』(2019年)

 

 佐藤信介の『キングダム』を観る。

 時は古代中国、戦国時代。戦乱の世の中にあって、西の大国「秦」にあって戦争孤児として山崎賢人演じる信と吉沢亮演じる漂という二人の子供がいた。二人はいつしか大将軍になることを夢見て、奴隷という身分での生活の中で鍛錬していたが、ある日、高嶋政宏演じる昌文君が漂を身請けして連れていってしまう。しばらくすると、漂が瀕死の体で信の元にやってくるので事情を尋ねると、地図を渡し、ここに行けと言ったのを最後に死んでしまう。悲しみに暮れる信だったが、言われた場所に赴くと、漂そっくりの(同じく吉沢亮演じる)嬴政がいた。漂は彼の身代わりとなって死んだのだった。初めは激高する信だったが、次第に暗殺者に追われる彼を助け、橋本環奈演じる河了貂とともに、本郷奏多演じる成蟜を討つために都に上る。その過程で長澤まさみ演じる山の民の首領である楊端和と盟約を結ぶ。一方、兄を退け、王の座に就いた成蟜はヒステリックなまでに血統を重んじ、権力の掌握に勤めていた。また、大沢たかお演じる王騎は情勢を冷静に眺め、昌文君の首級(偽物)を上げ、昌文君の領地を接収するなど独自の動きを見せる。信を始めとした一行は都に侵入し、作戦通りに行動を進め、見事に王の座を奪還するのだった。

 基本的にはそんなに悪くない筋立てで、これは原作の良さなのかもしれないのだが(とはいえ、私は原作は未読で、アニメも観ていない)、劇伴に頼りすぎなきらいがあり、これはかなり微妙だった。アクション自体はかなり良く、アクションシーンの見応えはかなりあった。マンガ的なアクションをかなり取り入れた結果として、戦闘シーンは観るたびに感心する出来栄えである。

 欠点としては、ほぼすべてのドラマ部分が退屈である、というところで、冒頭の漂が死ぬシーンなどは、後の信の動機づけという意味で重要なものだったのかもしれないのだが、週刊マンガにおける一話ごとのクライマックスという慣習によりすぎたのか、序盤のくせにダレる。そこは手っ取り早く処理してしまい、次に行けばよかったのではないか、と思うのだが、ある意味で原作通りなのだろうと思われた。

 ほぼほぼすべてのドラマシーンが冗長であるにもかかわらず、俳優たちはかなりいい仕事をしていたように見受けられるし、山崎賢人は信という、やけに煩い主人公を、しかしかなりの説得力をもって演じてみせたように思う。マンガやアニメのリアリズムに接近しすぎた結果、王騎を演じる大沢たかおはどこか異世界にいるような印象を受けるのだが、それも一興と言えよう。また、本郷奏多は兄を追い落とそうとする弟役を演じて、これはかなり見応えがある演技だった。

『ウィンストン・チャーチル』(2017年)

 

 ジョー・ライトの『ウィンストン・チャーチル』を観る。

 ゲイリー・オールドマン演じるウィンストン・チャーチルは政界の嫌われ者であるが、対ナチスとの戦局において、宥和政策を取ったチェンバレン首相の後釜として選出されることになる。リリー・ジェームズ演じるエリザベス・レイトンは、彼のタイピストとして演説などの原稿をタイプする立場にあるが、初日から彼の奔放な性格に翻弄され、職を辞することを決意までする。ベン・メンデルソーン演じる国王ジョージ6世は、チャーチルを最初、苦々しく思っていたが、戦局の悪化に伴い、スティーヴン・ディレイン演じるハリファックス子爵のナチス・ドイツに対する講和路線から、チャーチルの徹底抗戦の路線にシフトし、全面的な支援を申し出る。かくして、チャーチルダンケルクの戦いを初めとした危機を乗り越えることに成功したのだった。

 第二次大戦下におけるイギリスの政治状況を基軸に、チャーチルの人と為りを描いている。基本的には演説を始めとした弁論術の達人としての側面を描きつつ、ナチス、もといヒトラーに膝を屈するか否かといった瀬戸際の苦悩を描いている。

 なかなかに興味深く観ることができた。基本的に食事と酒、葉巻が大好きであり、事あるごとにいずれかが画面の中に飛び込んでくるので、なんというのだろうか、パワフルなのであった。