Outside

Something is better than nothing.

『モーテル』(2007年)

モーテル (字幕版)

モーテル (字幕版)

 

 ニムロッド・アーントルの『モーテル』を観る。

 ルーク・ウィルソン演じるデイヴィッド・フォックスとケイト・ベッキンセイル演じるエイミー夫妻は、息子を亡くし、離婚を目前としながらもエイミーの両親の結婚祝いをした帰り道に飛び出てきたアライグマを避けるためにハンドルを切った辺りから、道に迷ってしまい、さらにはエンジンも不調になるので余計に気まずくなってしまう。妻は息子を亡くして以来、精神を病んでしまい、薬を常用している。夫は皮肉めいた口を利いてしまい、妻を怒らせてしまう。夫婦の末期的状態が彼らに重くのしかかっているのだった。エンジンの不調を直すためにガソリンスタンドに行って、帰り際の店員に気前よく直してもらうものの、数分走らせると遂にエンジンが駄目になってしまうので引き返す。併設されているモーテルで修理を呼ぼうにも深夜なので電話が繋がらない。仕方なく薄気味悪いフランク・ホエーリー演じる店主に勧められるがままに部屋を取ることにしたのだが、何気なく取ったビデオテープを再生すると、まさに今、宿泊しているこの部屋で殺人が行われ、それをビデオに収めたものが流れており、彼らは恐怖に震える。すると、四方を監視カメラで撮影されていることに気づいた夫婦は殺人者たちの襲撃に怯えなければならなくなり、恐怖心を煽るようにゆっくり嬲っていく意志を持つ彼らにひたすら怯える。だが夫はビデオの中で彼らが不自然な現れ方をするシーンに着目し、抜け道があることを逆手に取って反撃しようとするものの、うまくいかない。幸いに警察に連絡した際、オペレーターが不審に思って警官を寄越してくれたのでこれで助かるだろうと思っていると、警官は彼らに殺されてしまう。ふたたび逃げることにした彼らは、妻を天井に隠し、夫は受付に飾られていた拳銃を取りに行こうとするも、夫はナイフで刺されて倒れる。妻は声を殺して状況をやり過ごすが、うつ病の薬の副作用で眠ってしまい、起きて天井から降りたところを殺人者に追いかけられるので、必死に逃げ回って車で彼らを轢き殺す。最後に残ったモーテルの店主との死闘をくぐり抜け、夫はかろうじて息をしていることが分かり、救護を待つのだった。

 B級かと思いきや、タイトルクレジットの謎のセンスに戸惑う。状況自体はよく作られており、途中トレーラーに乗った運転手がやってきて夫婦が助けを求めるものの、実は殺人ビデオの愛好者だったことが分かるに至るあの絶望感はよかったし、それが後の警官登場時の不信感に生きてくるところもうまかった。

 もはや悪夢としか言うより他はない状況であるのだが、その悪夢的状況の前段階として子供の死があり、それに伴う夫婦の危機があり、あの車の中における完全に冷め切った夫婦関係があるというくらいの丹念さで、おそらく監督自身はこの殺人ビデオテープという素材に対してはそこまで愛着はないのだろう、最後はぶつ切りのように終わってしまうのだし、ある種の野心は感じられ工夫が見える映画であったが、少し思うところがあった。

 調べてみると脚本を書いた人は構想にかなりの時間をかけているということだったので、おそらくその愛の差がこの映像になっているのだと思う。

見る前に跳べ

Before...

前書き

 オーデンの「見る前に跳べ」について、以前から知っていたというわけではなく、なんとなくその詩のタイトルだけを例えば大江健三郎の作品名から知っていたりする程度で、一体誰のものなのか、そもそも詩だということすら知らなかったのだが、あるときにこの詩を贈られたことがある。

 それは今の妻に当たる人から贈られたもので、彼女は私を励ますためにこれを贈ってくれたのだった。これは素敵な計らいだ、と思った私は、いつかまた別の機会に、こういったことができないか、と思っていた。

 彼女が私に贈ったこの詩は、正確にはある本の中に記されていたものだったのだが、私はこの詩だけを抽出して、さらには原文から訳してみて贈ってみたい、と思ったのだった。

 かくして翻訳を行った。先行訳を参照しながら、いくつか試行錯誤してみたのだが、なかなかうまくいかない。元より大して語学ができないのだから、ということもあるのだけれども、それでも最終的には下記に記す程度にまでなった。

 この詩を贈ったのは後輩で、私が異動するときに後輩が仕事に悩んでいたので贈った。

「見る前に跳べ」ウィスタン・ヒュー・オーデン

危機の感覚を失ってはならない
ここからは緩やかに見えるとしても
行く道はたしかに短く険しいのだ
見ていたいなら見るがいい だが君は跳ばねばならない

頑固な者も夢の中では感傷にひたり
どんな馬鹿でも守るルールを破ってしまう
しきたりではなく恐怖こそが
失われていってしまうものなのだ

多くの雑用や無価値なもの 曖昧なことや酒の力
それら労のみ多き徒労で いつも
気の利いた批評くらいは生み出せるだろう
笑いたければ笑うがいい だが君は跳ばねばならない

その場に見合った衣服とは
洒落ていないばかりか安くもない
羊のように臆病に生きる限り
どうでもいい連中に遠慮している限り

機転の利く社交術を褒められているけれど
誰もいない孤独を歓迎することは
涙するよりも難しいものである
誰も見ていない だが君は跳ばねばならない

一万メートルもある深海の孤独は
私たちが横たわるベッドを支える
私は君を想うけれども 君は跳ばねばならない
私たちの安逸の夢は消えてゆかねばならない

 後書き

 実際どう思ったのかは分からないけれども、後輩はそれなりに神妙な様子でこの詩を受け取ってくれて、私としては満足したのだが、そもそも詩にしてもプレゼントにしてもある程度まではそういう自己満足の要素があるのだから仕方ない。私がその後輩に贈りたかったから贈ったまでである。

 かくして仕事に悩んでいたその後輩は、半年後に会社を辞めた。