Outside

Something is better than nothing.

『ゾンビーバー』(2014年)

ゾンビーバー (字幕版)
 

 ジョーダン・ルービンの『ゾンビーバー』を観る。

 女たち3人がとにかくセックスのことしか頭になさそうな彼氏たちを差し置いて、そのうちの1人が彼氏に浮気されたということで慰めるために親戚の別荘地に赴くのだが、危険物資を運ぶトラックの運転手が実にいい加減に鹿を轢き殺したために、危険物資が入ったドラム缶がビーバーの住むビーバーダムに流れ込み、かくしてビーバーたちはゾンビーバー(Zombeavers)となる。で、彼氏たちは女たちの1人と共謀して、別荘地にやってきてしまうので、別段危機を迎えていないカップル2組は早速セックスに取りかかることにして、残る1組は浮気の真相を巡り、険悪なムードになったまま、ゾンビーバーが襲いかかってくるのでパニックに襲われているうちに、1人、また1人と退場していき、例によって噛まれるとウイルスか何かに感染するらしく、ゾンビーバー化してしまい前歯が異様に発達し、尻尾も出てくる。なんとか生き残ろうと藻掻くのだが、生き残ったと思いきや、またしてもいい加減なトラックの運転手に轢き殺されてしまう。

 タイトルが邦訳なのかと思いきや、原題も「Zombeavers」だったというところで、ある意味この作品は終わっているのだけれども、無意味にエロ要素があったり、男たちは果てしなく馬鹿だったり、いやそうは言っても女たちも結構馬鹿だぞ、と思わせたりする実に健全な内容で、ビーバーたちの姿に愛がなかった気がするのがいかがなものかとは思うのだが、しかしゾンビ物としてはまあ悪くはない。

『ベイビー・ドライバー』(2017年)

「ベイビー・ドライバー」オリジナル・サウンドトラック

「ベイビー・ドライバー」オリジナル・サウンドトラック

 

 エドガー・ライトの『ベイビー・ドライバー』を観る。

 アンセル・エルゴート演じるベイビーは幼少期の事故の影響から、常に耳鳴りに悩まされてしまうという障害を持っており、そのためiPodを常に携帯し、常にイヤホンをつけ、常に音楽を流している。両親が亡くなってしまったため、育ての親と一緒に暮らしているが、彼が聴覚に障害を持っていることもあってか、ベイビーもまた寡黙な青年として暮らしていた。しかし彼には裏の顔があり、それは強盗団の足として、逃がし屋稼業を行っていたのである。ケヴィン・スペイシー演じるドクの持つ麻薬に手をつけたことをきっかけに、その卓越したドライビングテクニックを見出され、半ば強制的に裏家業に付き合わされることになったベイビーだったが、あるときリリー・ジェームズ演じるデボラにファミレスで恋に落ち、そのことがきっかけとして転機を迎える。しかしそれをジェイミー・フォックス演じるバッツがクレイジーに邪魔し、ジョン・ハム演じるバディがパートナーとの愛とともに冷静に追い詰める。しかし、それらをどうにか躱した後、ベイビーは刑に服し、デボラと再出発を図るのだった。

 あらすじについて、いくつかの点は詳細は省いた。

 前評判と同様に、ミュージカル・アクション映画といった趣で、音楽のリズムとともにアクションが入るため、主人公の寡黙さがあまり気にならない。余計なことを言わない辺りに好感が持てはする。リリー・ジェームズがとにかく可愛らしく、そして美しい存在であり、対するベイビーも、その名の通り甘い。甘ったるい話ではあるものの、最終的にベイビーは刑に服したりもする“その後”を描かれていたりもする。

 アクションの凄まじさは『ホット・ファズ』から予感はされていたが、本作はその徹底ぶりに至っては拍手喝采ものであることは間違いない。

 全面的に大満足な作品であったことは確かなのだが、ずっと視聴後、違和感を覚え続けていた。その中身について、未だ答えを出せずにいる。で、これはもしかすると『ワールズ・エンド』から引きずっている何か、なのかもしれない。

 例えば物凄く雑に言えば、成熟に対する一方的な嘆きであるとか、そういう類のものなのかもしれず、『ショーン・オブ・ザ・デッド』や『ホット・ファズ』で高らかに青春の停滞が謳われたのと対照的に、『ワールズ・エンド』では青春の終焉みたいなものが描かれ、あるいはその青春の停滞の正体と言うべきかもしれないのだが、そうなると『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』が気になってくるという事態にもなり、結果的には何も言っていないことに等しくなるのであったが、何だろうなあ、この違和感。

『ウォー・マシーン』(2017年)

 デヴィッド・ミショッドの『ウォー・マシーン』を観る。Netflix映画。

 ブラッド・ピット演じるグレン・マクマーン大将はアフガニスタン情勢に司令官として着任し、各地を視察、より効率的な方法への変更等、さまざまな分析や実践を行い、独自の見解として四万人の派兵を依頼するも、オバマ大統領は三万人しか派兵しないということから、ヨーロッパ各地に赴き、派兵を依頼して周り、その乱痴気騒ぎがメディアにすっぱ抜かれて失墜し、また新たな、一切反省のない首をすげ替えただけの新たな有能な司令官が着任する。

 状況としてはややこしいわけで、割と一筋縄にいかない題材だろうと思いつつも、コメディというよりは冷静な視点(すっぱ抜いた記者の視点)から事態を眺めることで、一つのパースペクティブを得ている、と言えるかもしれないのだが、例えばジェレミー・レナーの好演が目立ったキャスリン・ビグローの『ハート・ロッカー』とは異なり、戦争というものへの男性性の発露というよりは、名誉欲その他の社会的欲求に基づいているような印象を受ける。

 もちろんこれは兵士の視座で描かれているかどうかという違いもあるのだし、そもそもとしてその熱狂については記者の視座があるために、余計に相対化されてしまって、かなり見えづらくなっている。

 グレン・マクマーン大将をブラッド・ピットは頑張って演じていたが、どうにもブラッド・ピットにこのような役回りは似合わないのではないか、と、傑作だった『フューリー』を思い返しながら、首を傾げた次第である。