Outside

Something is better than nothing.

歌に満ちた生活

 子育てをしている中で思いのほか驚いたのは、子どもと過ごす時間の多くが歌に満ちていることだった。子ども向け番組で耳にした歌を口ずさむ。子どもが覚えた歌を口ずさむ。昔の歌を口ずさむ。うろ覚えの歌詞を適当にごまかして歌を口ずさむ。

 そうでなくとも音楽に満ちている。何か優しい曲が流れている。元気いっぱいな曲が流れている。無音だとしても、生き物の気配とともに鼓動が、呼吸が聞こえてくる。

 私は集中を途切れさせられるわけだが、断片と断片を繋ぐのは不思議と歌だった。

泰然と超然

 ひたすらモチベーションが低下していく中で子育てというファクターだけが強化され、その喜びだけが生きるための糧になっているような気さえしてくるものなのだが、では今年、子育て以外に何をやったのか、あるいはやらなかったのか、ということを考えるにつけ、なんだこの体たらくはと己を叱咤することもなく泰然と超然を感じる。

 今年はよく分からないけれども、テキストマイニングだったりPowerBIだったり、ビジネスコラボレーションツールだったりに目を向ける機会が多く、自分の中ではあまりそれらに目を向ける機会がなかったので、そういった機会に恵まれたこと自体は非常に喜ばしいのだったが、かといって、自分が何をしたいのか、あるいはしていくのかということを考えたときに、どうしたってポジションだとか年齢だとか来歴だとかを意識せざるを得なく、その意識はもはや萎縮するものではなく、通過するものとしてそこにある。

 年齢、と書いたがここには良い面と悪い面がある。

 年齢によって、一種の経験値の蓄積を感じることが多いように思う。判断やその早さについて。一方で、その年齢の割に蓄積した経験値の儚さを思うと、働いているうちはいいが、その外側に目を向けたときに、どうなのかという点については考えざるを得ない。

 かつて私はある詩を書いたときに、このように書いた。私を私たらしめるのは、ただひたすらに私の明晰さなのだ、といったことを。

 小説は、その明晰な痕跡によって、直接的ではないが、しかし根源的なものを私に突きつける。突きつけられた剣の切っ先に、私の瞳が映っているのを感じる。瞳は、私の未来と過去を見通している。したがって、私の瞳は私以上に私を知っており、それを映す剣の切っ先もまた、私以上に私を映している。

 明瞭な意識は、私を夢から遠ざけるために覚醒を続けるが、夢としてはその境目の端緒から曖昧であるために、近いまたは遠いといった距離を問題にしない。意識は私を覚醒の陽の下に誘うが、夢は私を昼夜が逆転した屋敷に誘う。私は屋敷に入り、内部に足を向けると、そこには私の知っているものばかりが、まるで知らない形を装って並べられている。私は手元にある物に触れる。よそよそしく、冷たい他人のような顔をしているその物は、しかしかつて私が触れた某かであることを隠せていない。物は、私の手を煩わしそうに避けようとして、その硬さと温度を伝えることになるが、私はその手触りの夢心地に思わずうっとりとすることになる。

 夕べから私は眠っておらず、ここが今なのかそれとも明日なのか分からなくなってしまっている。明日の私ならば、おそらくいつものように起床して、眠っている妻と息子の穏やかな顔を触れるようにして一瞥して家を出て行ったはずだったが、今の私は彼らの眠るベッドの温もりに溺れて、動けずにいるようだった。

 屋敷の最奥に至った私は、絢爛の椅子に座る主人に相まみえることになる。彼なのか彼女なのか相貌からはうかがい知ることのできない絢爛の椅子に座った主人は、私を虫なのかそれともあまりに汚れてしまったため儀式のための生け贄にもならない供物のように扱って、紙に書き連ねることになる。

 呪われた私はおそらく屋敷から外に出ることはできない。深く深く屋敷の階段を上っていき、下降を繰り返していくことになる。最奥の人物は未だ動かない。

 来年は、あまりに小説を書かなかったことを反省し、もう少し小説を書く必要がある、と考えている。400字を最低でも1日で達成すべきKPIとして設定し、それを365日、そして12ヶ月で達成率を見ていく、といったレベルで何かしらを管理したい。

 SNSに呟くことがなくなってしまったので、最近はX(旧Twitter)を放置しているのだが、それは映画を放置しているのと同義なのかもしれない。映画を、ほとんど観なくなってしまった。観るべきものが他にあるからなのかもしれないのだが、少し考えたい。

 とにかく今年は酷かった——子育て以外。子の成長は目を見張るほどであり、常に喜びに満ち溢れ、私は苦手な料理すら積極的にするほどに至ったのだが、それ以外がぼろぼろだった。したがって、来年は持ち直していきたい。

檄文と檄データ

 あまり時間を作る機会に恵まれなかったこともあって、まとまった文章を書くことはなかったものの、仕事の中ではほとんど毎日、それなりの分量の文章を書く機会に恵まれて、それはいいことなのか悪いことなのか分からないけれども、とにかく「書く」ということに関しては続けてはいた。

 で、久しぶりにまとまった文章をブログに書こうと思ったのだけれども、子育てと仕事の往復で特に書くべきテーマもないように思って、前回記事を書いてから相当の期間が経った。

 その間に映画も読書もほとんど中途半端な状態に陥っているし、それを言うならば小説を書くことすらも長い手紙に関するものを書いて以来、短いものですら書くことがなかったので、とにかくアウトプットが途絶してしまい、何もかも中途半端にあったわけなのだが、その中でも熱狂することができたのはラグビーワールドカップ2023だった。

 妻と私は2019年にラグビーをまともに見てからというものの、ラグビーの魅力に取り憑かれることになったわけなのだが、全48試合ある中の、ほぼすべてを見ることになった。我々が特に応援していたのは南アフリカで、彼らは最終的には優勝することになる。強烈に私の印象に残ったのは、ニュージーランドとの決勝戦ではなく、フランス戦やイングランド戦でのある出来事だった。

 そこで何が起こったのか。

 ラグビーではフェアキャッチと呼ばれる、敵陣から蹴り込まれたボールを自陣の22メートルライン内でキャッチした際、マークと叫ぶことで自陣から蹴り出せる、一種の救済措置のようなものがある。敵陣から攻め込まれた際に、リズムを整えたり、ピンチを凌いだりする際に使われ、そこではまず間違いなくキックによって蹴り出すことで陣地を回復することを選択する。実際、南アフリカとフランス戦、またはイングランド戦を除いて、今回のワールドカップで見られたフェアキャッチは100パーセント蹴り出していた。

 しかし、南アフリカスクラムを組んだ。

 彼らは上述の二つの戦いにおいて、あえてスクラムを組む、という選択をした。このスクラムは自分たちのボールでのスクラムにはなるものの、開始位置はと言うと自陣の22メートルラインからになり、ペナルティを取られてしまった場合、ペナルティキックの危険性もあるし、下手するとトライされてしまう危険性もある。また、スクラム自体は組んでいる間も試合時間は流れることになり、例えば自分たちが負けている場合は、プレイする時間が削られていくことにもなる。

 しかし、南アフリカスクラムを組んだ。

 私は何がなんだか分からなかった。単にラグビーの戦術的な選択について、前例という意味での理解が及ばなかっただけに留まらない。なぜ、彼らはこれほどまでに合理性のない選択を、自信満々に行ったのか。特にイングランド戦では南アフリカは劣勢に立たされており、後半(セカンドハーフ)において残り二十分くらいの時間帯だったように記憶している。そこで万一にでも失敗をしてしまったらどうなるか。敗退するしかないわけである。

 しかし、南アフリカスクラムを組んだ。

 彼らを応援する我々は、彼らの選択を見守り、応援するしかなかった。スクラムは、果たして、いずれも成功に終わった。直接的にトライに決める展開にはならなかったものの、結果としては駒を進めることになったことからも分かるように、その選択は間違いにはならなかった。

 単にラグビーに留まらず、私は彼らの選択というものが、ビジネスパーソンとして経済合理性だとか収益性だとかKPIだとかの数字に囲まれ、その合理性や結果に直接的に現れるか否か、とか、例えばデータドリブンな文化とか、そういう、言ってしまえば「御託」に囲まれた自分の生活、望んだか望んでいないかにかかわらず、我々の行動を規定する資本主義という規律から離れたものを見せつけられ、動揺していた。

 あの二つのシーン、あの象徴的なスクラムの選択を見てからというもの、私は頭の中で何度もあのスクラムを選択した「理由」を追い求めている。この「理由」は、南アフリカのメンバーにとっては自明のことであったかもしれないのだが、それを見る私にとってはひたすらによく分からないものだった。それは単に誇りをかけた、とか、スクラムに自信があったから、とかそういう言葉ではない。それを選ぶということについて、私は何ら共感できなかったものの、その選択それ自体について、ただただ圧倒されたのだった。

 彼我の違い。価値観の違い。競技の違い。違う点はあげればキリがない。自信。強靭さ。フィジカル。屈強さ。しかし、これは肉体のものではないような気がした。人間とは何か、という手垢のついた命題について、私は知らず知らず考えていたように思う。

 まだ答えは出ていない。たぶん出ないとは思う。けれども、そのスクラムは、それを行った彼らを超えて、私を揺さぶった。例えばブレイディみかこブレグジットを選択したイギリスにおいて、当時の選挙対策委員がどういう戦術をもってブレグジットを民衆に周知していたか、というところを解説した文章を思い出した。彼はデータを分析していった結果、あるスローガンを披露したのではなく、地べたの人たちと交じり合っていくことで、そのスローガンにある言葉を付け加えることに至った。Take back control. そこにbackを入れることで、それは檄文となった。ブレイディみかこは檄データなどない、と喝破したのだった。

 繰り返しになるが、南アフリカスクラムを選択し、濡れた彼らの誇りを取り戻すことになった。素人の私が考えつく限りでは、そこには合理性などでは計り知れないものがあったように思う。そして、繰り返しになるが、私にはまだそのことが本当の意味で分かっていない。

 たぶん私は、あまりにも多くの「御託」、ステークホルダー、分析、解説、妥当性、妥協に囲まれているのだろう。人間は躍動できる。ただそれだけのことなのかもしれない。しかし、身体を忘れた私にとってそれは、最も難しいことなのかもしれない。