読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Outside

Something is better than nothing.

延期という言語

The Swimmer. Yaddo. Saratoga Springs, New York.

 そういえばこの言葉を聞いたのは高校時代の体育祭のことで、リーダー的な奴がどういうわけか「Postpone、延期する」と連呼していて、頭の中にこの言葉がこびりついて離れなかった。

 当時の私は例によって馬鹿な高校生のひとりで、要するに英単語なんて何一つ知らない、みたいな風で生きていたのだから、この言葉を聞いたときに、ああやっと経験の中から身についた英単語として「postpone」という言葉が私に与えられたんだな、と思ったのを覚えている。

 とはいうものの、今に至るまでこの言葉を使う機会には恵まれておらず、何となく頭の中でその言葉のリズムのよさや語感のよさが気に入っているのだけれども、しかしやはり使う機会はない。

 英会話の中において、どういうタイミングでその言葉を使うのだろうか。

 私はべつだん日常的に英語を使う人間ではないのだけれども、海外旅行に行ったときなんかはたどたどしい英語で喋る機会があって、なんとか懸命に頭の中から単語をひねり出して喋ろうとする。しかし、どうあっても「postpone」を使う文脈に至ることはなく、しかしなぜこの言葉が高校生の英語の語彙に結びついたのかということに関して、非常に疑問に思う。

 しかし、英語教育というものはおおむね無駄になってしまう宿命にあるわけであり、私の敬愛していた大学の教授は、むしろ英語を覚えさせないために10年間(中高大通算したとして)英語を扱っているのだ、ということを仰っており、それはそれでなるほどと思わなくもないのだった。

 昨今の就労状況において、「上」の世界の人間はグローバルにどこでも働くことができ、「下」の世界はそうではない地元の、ローカルな世界に甘んじなければならないといった論調があるときに、言語というものの習得の有無というものは「上」の世界への切符の一つにはなるだろうと思う。もちろん英語ができたからといって、即座に「上」に繋がるわけではないのだけれども。

 つまりは日本に閉じ込めるための英語教育10年間の無駄、ということはあるのではないか、と与太話の一つとしては考えるわけであり、無論のこと一考する余地もないのだが、しかし英語というものは習得が延期され続けている言語なのだ、と日本に限れば言うことができるのかもしれない。

『サイド・エフェクト』(2013年)

 スティーブン・ソダーバーグの『サイド・エフェクト』を観る。

 ルーニー・マーラー演じるエミリーは夫がインサイダー取引によって服役していた最中にうつ病を発症し、夫が出所後もうつが再発したことから、地下駐車場で壁に激突し、自殺を図ろうとしてしまう。そのときにジュード・ロウ演じるジョナサン・バンクス博士がエミリーの担当となり、薬物治療を行っていくのだが、薬の副作用になかなか慣れないエミリーはある薬の広告を見たことで興味を持ち、夫の性生活もうまくいかないことから夢遊病の副作用を受け入れた上で、投薬治療を進めていく。しかし、ある日、彼女は夢遊病の最中に帰宅した夫を刺してしまい、意識がないまま彼女は殺人の被疑者になってしまう。ジョナサン医師は薬の副作用による可能性が高いと述べるが、そのことで自分の築き上げてきたキャリアが同時に崩れて行ってしまう。しかし彼は事実を丹念に追っていくと、エミリーがうつ病を患っていたわけではなく詐病だと築く。以前に彼女の医師だったキャサリン・ゼタ=ジョーンズ演じるヴィクトリア・シーバート博士の論文を見たことで疑念は深まっていき、実は彼女たちがレズビアンの関係で、共謀して犯行を計画していたことが判明する。彼は家族の信頼を失い、同僚からも蔑まれながら、それでも掴んだ真実に基づいて彼女たちの犯行を暴いていく。一度は無罪になったエミリーは同じ罪で二度裁かれないため、精神病棟に治療の必要性があると診断し収監させ、シーバート博士は警察に捕まえさせる。ようやくジョナサンは家族の信頼を取り戻すことができたのだった。

 前半部分と後半部分の明確なストーリーの相違が面白く、最後まで飽きないものだった。前半部はエミリーのうつ描写がかなり堪えるもので、観ていると辛さが伝わってくるのだが、後半になるにつれて一体何が真実なのか分からなくなってくる。

 ルーニー・マーラーは詐病を演じつつ、目的のために手段を選ばない女性を好演し、キャサリン・ゼタ=ジョーンズは怪しげでセクシーな医師を好演している。とはいえ、ジュード・ロウの実に真っ当な医師っぷりが、キャリアの崩壊に伴って少し偏執狂めいていく過程の描き方はなかなかエグいものがあり、その意味で彼がもっとも好演していただろうとは思うのだった。